高平氏には、すでに異変が生じていた。
渡した小さなチケットを、もう五分以上も見続けているのだ。
間が持たないことの緊張感に耐えられず、そうしていることは分かるが、
そのチケットには五分間見続けるほどの情報量はなかった。
何を五分間も見ていたのだろうか。
竹中は、机の上にある文房具に書かれた文字を、意味もなく声に出して読んだ。
「ボールペンテル細字、か」
その意味のない言葉が、ゾーンを支配するエネルギーに、さらに力を与えたような気がした。
高平氏は、チケットと一緒に渡したチラシに目を移したが、少し読むと何を思ったか、
反転させてチラシの裏側を見た。何も印刷されていない。
「まっ白なんだね」
と私に訊いたが、それは見ればすぐに分かることだった。
私はそれに答えて、「ええ」と声を出したが、言葉はそれだけだ。
再び沈黙はやってきた。たまらなくなった私は、
「ここ原宿ですよねー」
と言ってしまった。
ここまで来るのに、竹中も私も、当然、山手線を利用し原宿の駅で降りたのである。
その質問には誰も応えてくれなかったので、なおさら気まずさは増した。
時折、外から洩れ聞える音楽が、気まずさを強調しているようだった。
再びチラシを表に戻した高平氏は、時間をかけてそれを読み続ける。
壁に貼られたポスターを見ていた私は、
「ポスターかな」
と不思議に明るい声で言った。
その時、竹中は窓の外を見ていたが、腰に手をあてると決心したような顔をした。
「晴れてますね」
私も竹中も、何をしに来たのかすでに分からなくなっていた。
★彼岸からの言葉/宮沢章夫★
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