現代は、誰もが狂人途上国なのである。そして誰もが狂人になりたくないのである。
そして漫画家、芸能人、芸術家のタグイは狂人と隣りあうところまで行ける人々である。
そしてその精神力と技巧によって、こちら側にもどってこれる人々なのである。
なぜ誰もが狂人になりたくないかと言うならば、「キチガイになってしまっては面白いことも面白くない」
からで、これは、キチンとした考えであると私は思う。
ところが狂人になるまいとするには、狂人的なものにふれ、自らの狂人的なものを、なぐさめなければならない。
ひたすら普通をしていて、狂人的なものに背を向けていれば、後ずさりに狂人ににじり寄ってしまうという構造なのである。
これは作家にも読者にも当てはまることなので、作家はキチガイ的なるものを吐き出すことにより、
読者はそれを吸い込むことによって、均衡を保っていられるのだ。
★面白くっても大丈夫/南伸坊★
■榎忠明さんという漫画家が奥さんと子供を殺害した、という事件についてのエッセイで。
私はたぶんここで言われているような作品には苦手なものが多いのですが、
「大榎さん(榎忠明の本名)は作品の持ち込み先を誤ったのである。 折角、奥さんを漬物石しちゃうくらいの、わが子をお風呂しちゃうくらいの異常さを持ちながら、 警官に出刃包丁を突きつけて拳銃拝借を強要するくらいの異常さを持ちながら、 それを作品に投入することができなかったメディア選択と作品観の誤りなのである」
という南さんの意見は、本当なのか私にはわからないけど、 なんだか本当だったらいいなぁと思ってしまうものでした。
表紙は湯村輝彦さん。
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