授業中、いつものように歌を作って、それを書きつけたカードの束をトントンとそろえていると、
ぼんやりと沸きあがってくる感覚があった。
あれはまちがいだった。あれはまちがいだった。
世界を変えるための呪文を本屋で探そうとしたのはまちがいだった。
どこかの誰かが作った呪文を求めたのはまちがいだった。
僕は僕だけの、自分専用の呪文を作らなくては駄目だ。
あ、そうか、ともうひとりの僕が思う。
三階教室の窓の外には、名前のわからない樹の先っぽが揺れていた。
それまで誰も考えなかったような、自分だけの呪文を意識して歌を作るようになった。
それとともに、誰か僕の呪文を好きになってくれないだろうか。
誰かそれを覚えていっしょに唱えてくれないだろうか。そんな風に思うようになった。
たまたま隣の席に座った友達に歌のカードを見せてみた。
友達はちょっと困ったように歌をみて「いいね」と言った。
私の呪文は明らかに不完全だった。だが完璧でなくても呪文は効くのではないか。
一mm、一cc、一℃、ほんの少しだけ、目に見えないくらいの影響をこの世界に与えないだろうか。
完璧でなくてもいい。完璧でなくても、完璧を目指して、蛇のようにしつこく何度も作ればいい。
歌のカードが五十枚を超える頃、私はぼんやりと感じはじめた。
ラジオ体操の歌があんなにおそろしかったのには意味がある。
二人乗りの自転車が眩しい生き物に見えたのには意味がある。
女の子に口が利けなかったのには意味がある。
自分の考えが自意識過剰な怠け者の妄想としか思えないことには意味がある。
世界の不気味さにはすべて意味があるのではないか。
どんな意味があるのか、具体的なことはまったくつかめず、世界は依然として気味が悪いままだった。
だか、私は気がついたのだ。この不気味さには確かに何か意味がある。
★短歌という爆弾/穂村弘★
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