宿題

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2002年07月10日(水) 麦ふみクーツェ(第二章)/いしいしんじ
「ただ弱かった、ってだけのことだよ」 とおじさんは笑う。

「世界ランクにはいるような選手だと、試合の結果が、偶然に左右されるなんてことはありえない。

パンチの、ステップのひとつずつがすべて計算ずくで動いていくから、勝敗にはちゃあんと理屈がある。

ぼくの視神経がちょんぎれたのがサミングのせいだか、相手のパンチのせいだか、ダウンした衝撃のせいなのか、

あのとき自分でもわからなかったし、いまだってわからない。そういうのって要するに、一流じゃないってことなのさ」

   ◇

「ただね、音楽家ってたいへんと思うよ」 ぼくの肩にてのひらを置き、おじさんはいった。

「だってこの世にはあらかじめ、ひどい音があふれちゃっているから。

ものすごい雑踏のなかで、シャドウボクシングをつづけるようなもんだろう。

だけど、いいか、きみはちゃんとその世のなかをみつめなきゃならない。

この世が実際どんなひどい音をたてているのか、耳をそらさずききとらなきゃならないんだ。

ぼくがおもうに、一流の音楽家っていうのは、音の先にひろがるひどい風景ののなかから、たったひとつでもいい、

かすかに鳴ってるきれいな音をひろいあげ、ぼくたちの耳におおきく、とてつもなくおおきくひびかせてくれる、

そういう技術をもったひとのことだよ」


★麦ふみクーツェ(第二章)/いしいしんじ★

マリ |MAIL






















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