訃報は常に大文字です。
彼女もまた「ユニークな消しゴム版画家」「辛口のテレビコラムニスト」、といったもので
言い語られ、追悼されるのでしょう。もちろん、それは間違いではない。
世間にとってのナンシー関とは、おおむねそういう書き手ではありました。
でも今、ナンシー関がいなくなった、ということは、単に雑誌界隈がおもしろくなくなる、
といったこと以上に、実はかなり大きな思想的事件だということを、心ある人たちはそれ
ぞれしっかりと感じているはずです。
それはたとえば、三島由紀夫が割腹自殺し、連合赤軍があさま山荘で篭城し、オウム
真理教が無差別テロを展開した、それらとある意味で匹敵するくらいの大きな時代の
転換期を象徴するできごと、になるはずです。
彼女が斃れた、ということは、八十年代出自の価値相対主義思想の、その最良の部分
が失われた、ということに他なりません。
笑わないで下さい。
これは本気です。その意味を、これからあたしたちは深く思い知ることになるはずです。
★ナンシー関さんを悼む◇産経新聞(6月13日)/大月隆寛★
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