○プラシーヴォ○
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9年前、私は人を殺しかけた
私が投げた円盤が、 防護用ネットの3センチ程の隙間をすりぬけて たまたまそこを歩いていた他校の陸上部員に当たりかけたのだ
投げた手から、2メートルくらいしか離れていない場所で 目の前を円盤がすさまじい勢いで飛んでいき、 その子は腰を抜かした
あと1歩、その子が前に進んでいたら その子の頭はカチ割れていたはずだ
もともとあまり部活動に熱心でなかった…というか 幽霊部員同様だった私は その子にひとしきり謝った後、 まだ恐怖で震える足で、顧問の方へと歩いていった
もうこれ以上投げられない 部活動を辞めるしかない
すると、目の端を白いものがかすめた
私が陸上部に在籍する唯一の理由 大好きで大好きで大好きな鬼塚くんだった
白いシャツに白のランニングパンツで 400メートルのトラックをすいすいと走る彼は 鳥か、天使か、山肌を流れる霧のようだった
走り終えて、勢いをゆるめた彼は スタート地点へと再び体を向け ゆっくりと走ってきた
私とすれ違う…
と思ったら、私の前にたちふさがった
汗がポタポタと顎から落ちている 綺麗だった
「下手だね」
体中の温度が下がった気がした でもこれで、本当の本当に陸上部に未練は無いと思った
うちの陸上部の最速スーパースターの前で 私はなんてみじめなんだろう 震えが増した足を、必死に押さえ込む 赤いタータンがぐにゃりと歪む
口を開けると泣いてしまいそうなので 私は無言で「悪かったわね」 というふざけた表情をつくって、鬼塚くんの横をすりぬけた
私の背中を、鬼塚くんの言葉がむんずと掴まえる
「下手だから、練習しなきゃだめだよ 辞めちゃ、だめだ」
一直線に顧問へと向かっていた足先を、 ゆっくりと鬼塚くんの方へと向ける
頭の真上でギラギラと光る太陽を 片手で遮りながら、鬼塚くんが私に円盤を渡す 笑ってる
「オリンピック選手でも真後ろに飛ばす人がいるんだもんな 集中しろよ、集中」
クールで、シュールで、個人主義者で 他人の生き死にに興味のなさそうな鬼塚くんが 私を引き止めてくれた
私は呆然と円盤を受け取った そして陸上部を辞めることなく 時間は過ぎた
高校を卒業する時に、たまらず思いを伝えた
「あの…付き合って欲しいんだけど だめだよね? 今、誰とも付き合う気、ないんだよね?」
という超ネガティブな告白に、 鬼塚くんは
「う…うん」 と頷いた
それでも私は鬼塚くんを愛し続けた 今はどこで何をしているのかも分からないけれど
今もし目の前に現れたら 私はきっともう一度恋をしてしまう
たぶん、とか、きっとじゃなくて
絶対、もう一度片思いをする ハム男と別れる
あまりにも迷惑メールが鬱陶しいので 携帯のアドレスを変えようと思った
三日三晩考えて
そっと、鬼塚くんの名前を組み込んだ
誰にも分からないように
久しぶりに、心臓から出る血の温度が 若干上がった
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