hikachi's Diary
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2004年08月01日(日) |
ナザレのイエスは神の子か |
「ナザレのイエスは神の子か」という本を読んでいるのですが 冒頭でいきなりガツンと・・・来ました。
『1979年の秋、妻のレスリーは「私、クリスチャンになったの」 と言って私を驚かせた。私は天を仰ぎ、マルチ商法の被害者に なった気分で最悪の事態を思い描き身を震わせた。 私が結婚したのは、楽しくて、お気楽で、冒険好きなレスリーだった。 そのレスリーが、クリスチャンになってしまった。 これから彼女は潔癖性の淑女となり、富裕な生活を望む ライフスタイルを捨てて、徹夜の祈祷会や薄汚いキッチンでの ボランティアに精を出そうというのだ。 しかし、驚いたことに、そうした変化は起きなかった。 私が目の当たりにしたのは、彼女の基本的な人間性が 変わっていく姿であった。自身に満ちあふれた高潔な女性へと 変わっていく様子に感動を覚えたほどである。 徐々に私は、彼女の中で起きているこうした静かな、 しかし重要な変化の原因を知りたいと思うようになり、 キリスト教に関するあらゆる事実関係を 徹底的に調査しはじめたのである。』
・・・すみません、私は全く証になってない妻です。 ずっと前ですが、私はネット上である人の欠点というか 性格のある点を指摘して、修復不可能なほど 怒らせてしまったことがあるのですが、その相手に 「なんて高慢な女だ。そんなだから、あんたの旦那は キリスト教に愛想をつかしたんだ」という捨て台詞を 言われたことがあります。
それはたぶん、売り言葉に買い言葉、というか 相手も腹立ちまぎれに言った部分があったのでしょうが、 その人の言う通り、そういう部分が私にはあると思います。
夫にしてみれば、私が欠かさず教会に行くことや 家の至る所にみことばを貼付けていることに 無言の圧力を感じているに違いありません。 それは、私が心の奥で、信仰を捨て去った彼を裁いており、 実際のところ恨んでいる空気を、彼が感じているからです。 彼にしてみれば、相当に居心地が悪いことでしょう。
私が変わらなければ、夫は変わらない。
そのことはわかっているつもりですが、私は本音では、悔しいのです。 “なんで私が譲らなきゃならないの。未勝手なのはそっちでしょう。” こういう態度で毎日暮らしているので、証にならないのです。
まず、自分自身が変えられなくては・・・。 主の道は、厳しいです。
しかし、どこまでいっても、高慢で頑固な私です。 まだまだ、たくさんの祈りと学びが必要なようです。
同日の過去の日記
2001年08月01日(水) 虹
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