hikachi's Diary
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2002年09月27日(金) 久々の更新 2週間分

いろいろありまして、なかなか更新できなくてすみませんでした。
短く簡潔にでもいいから、少しずつ日記も進めていきたいと思います。

先々週からあたらしい仕事で、2日間は個人的に研修、
3日目から自分の部署に配属になりまして、少しずつお仕事を習っています。
所属部署の雰囲気はまあまあです。
それぞれマイペースに仕事をしているという感じです。
ただ、こまごまと覚えなければならないことが多く、神経が疲れます。
忙しいらしく、定時で帰っているのは私だけです。。。
慣れたら私も残業しないとだめだろうなあ。
しかし残業手当はかなりつくので、それを楽しみにがんばります。
貧乏暇なしの人生なのだ。

●20日(金)

主人の出演する演奏会がありました。
大学時代の先輩の企画の演奏グループで、一応仕事として
請け負っていますが、すべて自分たちの手作りの演奏会です。
東京の西側の遠いところでやりましたが、
仕事が終わってから私も聴きに出かけました。
今回は新潟の主人の両親も聴きに来てくれました。

演奏会終了が9時過ぎ。
両親と軽く食事をして、帰宅したのが夜11時をまわっていました。
ひか太は私の実家(徒歩3分)で既に眠っていました。
主人は仲間と打ち上げで、先輩の家に宿泊ということでしたので
夫の両親と私だけが我が家で寝ました。

●21日(土)

ひか太の小学校の運動会でした。
本来なら母親である私がお弁当を作っていくのですが、
前述のような状況で、転職一週目というだけでクタクタの上、
演奏会に行ったので、私の体力ではとても無理なので
今回は実家の母に甘えて作ってもらいました。

一年生のときほど親の気持ちは盛り上がりませんでしたが、
ひか太はけっこうはりきってがんばっていました。
かけっこ → フラフープをくぐる → かけっこ
という競技がありましたが、5人中2位でした。
ダンスもまだまだかわいかったです。

午前の部の終わりくらいにやっと朝帰りの父親が登場しました。
遅いってば(ーー;もうだいたい終わっちゃったよ〜。
しかし、お弁当だけは揃って食べることができました。
1人の子供に 大人が6人の大所帯・・・ちょっと恥ずかしかったですが。
でもなんだか、今時のほほえましい光景じゃないかなあ、
ということにしておこう。。。

その後 義父は新潟に帰り、義母だけもう一泊しました。

●22日(日)

義母が泊まっているのに、礼拝に行けるほど気が強くない私(^^;
今週は礼拝はおやすみしました。
午前中に、母がおみやげを買うというので、近くの落花生やさんに行きました。
千葉といえば、落花生くらいしかお土産になるものないもんねえ。
そして午前中には帰ったので、午後からは!ひか太と!爆睡しました。
しかしひか太は寝なかったらしい・・・。

●23日(月・祝)

一日だらだらしていました。
なにしてたか覚えてないほど だらだらしていたらしい。。。

●24日(月)

なんと、受洗記念日だったのでした。満7年です。
そして、初残業日でした(^^;ちょっとだけどね。
仕事の性質上、休み明けは忙しいらしい。

●25日(水)

小学校の後援会の有価物回収のチラシ配布当番でした。
一年に数回、回ってきます。
普通の人は金曜日の午前にお当番が回ってきて、年4回くらいありますが
働く母はそれに出られないので、代償行為というわけです。
そんなに大変な作業ではありませんが、たいてい40分くらいかかります。
仕事でクタクタの上に、今回はかなりしんどかったです。

26日と27日はパソコン立ち上げる気力もないほど疲れていました。
今までほんと、ラクな仕事だったんだなあ。
時間は今の方が少し短いのに、疲れ方が違います。
慣れてきて楽になるといいんだけど。

●27日(金)

そうして、バタバタ、ぐったりの一週間が無事(?)に終わったのでした。
週末に向けて、どんどん元気がなくなり、
家のこともほとんど何もできず状態でしたが、
一週間乗り切れたことを神様に感謝します・・・。

この2週間は連休で4日ずつの出勤でしたが、
来週からはほんとに5日びっしり働きます。
有休もないし、倒れるわけにもいきません。
つーか、倒れたら倒れたで それもみこころなんですが
倒れないよう気をつけたいものです。

『神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に
 会わせるようなことはなさいません。
 むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、
 脱出の道も備えてくださいます。』
(第一コリント10章13節)


同日の過去の日記

2001年09月27日(木) 送別会


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