2009年02月22日(日) |
公務員を 「 親方 日の丸 」 と妬む “ 負け犬 根性 ” |
「 決して怠惰に浸りきるな。 つとめて読書、執筆、祈り、瞑想をするか、
公共の役に立つようにせよ 」
トーマス・ア・ケンピス ( オランダの宗教指導者 )
Never be entirely idle ; but either be reading, or writing, or praying, or meditating, or endeavoring something for the public good.
Thomas a Kempis
不景気になれば、当然、雇用情勢は悪化する。
そのため、各自治体では、臨時職員採用などの雇用対策を実施している。
だが、「 臨時 ( 大半が2ヶ月〜一年間 ) 」 という言葉の響きが悪いのか、求職者には意外と不人気で、応募が “ 定員割れ ” のケースも目立つ。
現在、職を探している人の中には、派遣など 「 元 非正規社員 」 の人たちが多く、過去の痛手からか、次は正社員を希望する人が多いのは事実だ。
そんな折、大阪府吹田市が緊急に実施を決めた事務職員採用の一次試験では、募集人員 5人の枠に対し、2782人が応募、2362人が受験した。
実に 472倍という高い競争率だが、年齢制限を撤廃し 59歳までの応募を認めたことと、長期雇用の見通しがあることで、応募が殺到したらしい。
東京都は、雇用情勢の悪化を踏まえ、本年度の新規職員採用の予定数を前年比1.47倍とし、都職員への門戸を広げることを発表した。
長引く不況、厳しい雇用情勢の下では 「 公務員 」 を希望する人が増える傾向にあり、逆に、市場が好景気に沸いているときは、不人気になる。
たしかに、公務員の立場は安定しており、不祥事でも起こさないかぎりは、滅多に解雇されることもないし、定年まで給料が下がることもない。
一部の評論家、個人の ブログ などでは、「 公務員数が多すぎる 」 とか、「 公務員は “ 親方 日の丸 ” なので、気楽なもんだ 」 と、よく批判する。
実際には、国民 1000人あたりの公務員数を国別で比較すると、アメリカ が 約 80人、イギリス は 約 100人、日本は 約 40人 と、極めて少ない。
今後の日本が、少子高齢化により、ますます、福祉などの公共サービスが求められる実情を見据えると、公務員の数を増やすことに問題はない。
国が立場を保障することを示す 「 親方 日の丸 」 云々については、単なる “ やっかみ ” というか、低次元の悪口であって、まったく話にならない。
この言葉を悪意で多用する人々は、民間企業の経営者、従業員なのだが、彼らの大半は、なりたければ 「 公務員になる チャンス 」 もあったはずだ。
定年まで安心して勤められ、福利厚生が充実している反面、他人の何倍も努力したところで、公務員の場合、一気に飛躍した昇給、昇格は望めない。
私も含め、そんな 「 定められた レール の上を走る 」 のは性分に合わず、競争の中に身を置く覚悟があったからこそ、公職に就かなかったのである。
いまさら、公務員の立場を羨ましがり、妬み、やっかむのは、「 競争に負けた途端に、不平等を訴える 」 負け犬根性の表れとしか、言いようがない。
実際のところ、「 親方 日の丸 」 というのは、公務員にかぎった話ではなく、たとえば、銀行や保険会社、一部の大企業なども、国が救済にあたる。
当然、破綻寸前の銀行は救済しても、そこで働く全ての銀行員が救済されるわけではないが、異業種に比べると、はるかに優遇されている。
中小、零細企業で働く人々からみれば、「 大企業の社員は恵まれている 」 と感じるのも必定で、事実、待遇面でも、精神面でも、それは否めない。
だから、公務員を総称して 「 親方 日の丸 」 だと無条件に批判する姿勢は好ましくないが、公務員に就く方も、その安定性だけに依存しないでほしい。
少子高齢化で税収が減り、高度な公共サービスが求められる将来の社会において、公務員に課せられる役割は大きいことを、十分に認識されたい。
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