2009年01月11日(日) |
黒子で我慢できない 「 銀行 の 不遜 」 |
「 銀行家とは、道は知っているが、車の運転はできない人である 」
ケネス・タイナン ( イギリスの映画評論家 )
A banker is a man who knows the way but can't drive the car.
Kenneth Tynan
私が、小学校高学年から中学生の頃、ボードゲーム が大流行した。
その代表格は、『 人生ゲーム 』 と 『 モノポリー 』 だった。
どちらも、原型はアメリカで発案されたものだが、『 人生ゲーム 』 は日本の 「 双六 ( すごろく ) 」 を複雑化させた類で、さほど目新しく感じなかった。
それに比べ 『 モノポリー 』 は、それまでに体験したことのないゲームだったので、一時期は、ずいぶん夢中になって遊んだ記憶がある。
ご存知ない方のために、簡単なルールを説明すると、まずは、ある程度の資金を持ったプレイヤーが、順番に2個のサイコロを振る。
出た目の合計数だけ、自分の駒をボード上で進め、止まったマスの土地、鉄道・電気・水道会社などを手持ちの資金で購入し、資産を増やしていく。
他者が自分の保有資産に止まると、評価額に見合った 「 レンタル料 」 を徴収でき、盤面を一周すると 「 200ドル の給料 」 が入る。
同じ色のマスにある土地を、すべて入手した場合は、まず家屋を4軒まで、次いでホテルを建設でき、その都度、「 レンタル料 」 が高額化する。
ゲームの醍醐味は、タイトルの 『 モノポリー ( Monopoly = 独占 ) 』 が示す通り、土地を買い占めて、賃料を吊り上げるところにある。
税金を取られるマス目や、金融犯罪をイメージしてか 「 刑務所 」 のマス目もあって、意外なところで足止めを喰らったり、一発逆転の機会も多い。
手持ちの現金が不足した場合、購入済みの資産を抵当に入れ、銀行からお金を借りることもできるが、破産した時点で 「 負け 」 となる。
まさに 「 資本主義の縮図 」 ともいえるゲームだが、1935年、大恐慌時代のアメリカで発売されたのが最初だそうで、なかなか、よく考えられている。
このゲームはプレイヤーの他に、お金の計算をする 「 銀行役 」 が必要で、誰かが専任してもよいが、普通はプレイヤーの1人が銀行役を兼任する。
なぜ、専任しないかというと、銀行役の人は 「 競技に参加できない 」 ので醍醐味が味わえないし、お金の出し入れだけでは、面白くないからである。
銀行役を兼任するプレイヤーは、他者よりも手間が多く、面倒ではあるが、概ね 「 計算の得意な人 」 が推挙され、渋々、引き受けることになる。
計算の遅い人に銀行役を任せると、お金の出し入れにモタつき、あるいは不正確だったりするので、時間が長引くうえ、ストレスが溜まりやすい。
このゲームにおける銀行役は、勝敗を争う立場にないので、ただ、計算が得意であれば問題なく、プレイヤーと違って 「 破産する心配 」 もない。
バブル期における日本の銀行も、サブプライムローンで崩壊寸前に陥ったアメリカの銀行も、「 黒子に徹する使命 」 を逸脱したところに問題がある。
彼らは、本来の プレイヤー を押しのけ、借金を元手に資産を膨らませて、積極的にゲームへ参加し、その結果、重大な金融危機を招いた。
お金の勘定だけ得意でも、現実の経済というものは、各分野での卓越した能力や経験が求められ、机に座ったまま、分析できる代物ではない。
特に日本の場合は、製造業の努力で、世界中から 「 最高品質 」 と賞賛される実体経済に、金融機関が傲慢な介入を続け、足を引っ張ってきた。
今回の金融危機で、アメリカ国内では従来の 「 金融覇権主義 」 に対する全否定が始まっており、日本も、銀行の姿勢を見直す時期にきている。
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