2008年12月06日(土) |
戦力外社員の雇用負担に苦しむ企業 |
「 世の中は、やる気十分の人で溢れている。
働く気十分の人がいる一方、働かせる気十分の人がいる 」
ロバート・フロスト ( アメリカの詩人 )
The world is full of willing people. Some willing to work, the rest willing to let them.
Robert Frost
言葉の持つ印象で、すべてを決め付けてしまう人がいる。
また、自分の立場や価値観でしか、物事を判断できない人もいる。
運転免許証の講習では、「 たぶん歩行者が飛び出さないだろう 」 などと、注意を怠る “ だろう運転 ” の危険性について、指摘する教官が多い。
車を運転するときは、「 ひょっとすると、人が飛び出してくるかもしれない 」 と、絶えず注意を集中させる “ かもしれない運転 ” が善しとされている。
安全運転を心がけることに異論は無いけれど、未来の可能性を予測する 「 だろう 」 と 「 かもしれない 」 の語句を、善悪の対比で使うのはおかしい。
たとえば、「 運転をする場合、常に安全確保を配慮すべきだろう 」 と考える “ だろう運転 ” なら、けして悪い意味に解釈されないはずだ。
逆に、「 制限速度を大幅に超えた場合も、事故を起こさないかもしれない 」 などと考える “ かもしれない運転 ” では、危険きわまりない。
この 「 だろう 」 や 「 かもしれない 」 以上に、「 経営者 」 と 「 労働者 」 という言葉には、それだけで、貧富の差を分かつかのような印象が強い。
実際には、高給を稼ぐ大企業の 「 労働者 」 もいれば、切り詰めた生活を余儀なくされている零細企業の 「 経営者 」 も多いはずだ。
会社を維持するために、自分の給料を 10万円 に抑えている経営者が、月給 40万円 ほどの従業員から 「 給料が安い 」 と愚痴られたりもする。
雇用されている以上、労使間の 「 力関係 」 は存在するものの、恒常的に経営者が裕福で、労働者は困窮しているという定義は、当てはまらない。
冷静に考えれば当然の話なのだが、前述の “ だろう運転 ” と同じように、誰かが 「 経営者は搾取し、労働者は苦しむもの 」 と、常に洗脳している。
最近の雇用を巡る報道では、たとえば、不景気によって内定を取り消した企業などが 「 悪者 」 扱いされ、取り消されると 「 被害者 」 扱いされる。
従業員は、いつでも好きなときに辞めれるが、雇用する側は、労働基準法の定める 「 正当な理由 」 が無いと、解雇できないことにもなっている。
労働者の権利を守ることも重要だが、企業や経営者に 「 いつでも余力がある 」 という “ 幻想 ” を抱かせるのは、大間違いだと言わざるを得ない。
近代社会は、「 資本家 」 と 「 労働者 」 の階級に分かれているわけでなく、誰もが自由に起業でき、その気になれば、人を雇うことができる仕組みだ。
だから、企業や経営者を目の敵にして、労働者ばかりを手厚く保護し過ぎると、経済全体に悪影響が及び、それはいづれ、すべての国民に返ってくる。
ある企業では、業況が急落したにも関わらず、世論の猛反対に遭った為、新卒者の内定を取り消せず、仕事も無いのに、人件費が大幅に増加した。
しかも、2004年に改訂された労働基準法で、病気を理由に解雇できない ルール から、病気欠勤中の数名の社員に、給与を支払い続けている。
病気は主に、うつ病などの精神疾患だが、実際の戦力となる健康な社員への負荷が増えたうえ、業績が悪化しているので、さらに厳しい傾向だ。
企業には、もちろん 「 従業員に対する責任 」 があるけれど、この会社では下手をすると 「 従業員を守って潰れる 」 という危険が浮上し始めた。
本来、国で救済すべき 「 戦力外の労働者 」 への責任まで、闇雲に民間へ押し付ける昨今の風潮が、企業の体力を奪い、不況の一因になっている。
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