Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2004年11月24日(水) ぬるい社会


「 厳しい状況で自信を持っていられるのは、偉大な選手である証だ 」

                  ジョン・マッケンロー ( テニス・プレイヤー )

I think it's the mark of a great player to be confident in tough situations.

                              JOHN MCENROE



一流と呼ばれる人間は、追い込まれたときにこそ真価を発揮する。

それは、スポーツの世界にかぎった話ではない。


人生では、なんらかの形で 「 競争 」 とか 「 戦い 」 といった局面に遭遇することがあり、それらとはまったく無縁であるという人は少ない。

他人と比較することを避けたとしても、たとえば 「 自分との戦い 」 みたいなものからは逃れようがないはずだ。

当然、そこには 「 勝者 」 が在れば 「 敗者 」 も在るわけで、常に勝ち続けることができるとはかぎらないし、そこには 「 好不調の波 」 もある。

好調の際に活躍するのは誰も同じで、不調のときに頑張ったり、ある程度のところで踏ん張れる能力を持っているのが 「 一流 」 の証ともいえる。

反対に、ちょっとの困難でへこたれたり、くさったり、むくれたり、弱音を吐き挫折するようでは、なんとも情けない話である。


厚生労働省では、企業向けの 「 労働者の心の健康づくりのための指針 ( メンタルヘルス指針 ) 」 を、2000年の策定以来、初めて見直すという。

その中で、従業員がうつ病になった時の上司や産業医の対処方法だとか、治療を早く受けやすくする職場環境整備の具体策などが提示される。

他に、従業員が治療を受けるにあたってのプライバシー保護対策や、復帰した際の受け入れ態勢、再発防止に必要な職場環境も示されるらしい。

この指針は企業にとっての努力規定で、守らなくとも罰則はない。

しかし、「 従業員の精神疾患は企業にも責任があるので、労使で積極的にこの問題に取り組んでもらいたい 」 というのが、厚生労働省の見解だ。


流し読みすると、一見 「 マトモな話 」 のようにも思える。

昨年度、うつ病などの精神疾患になったとして労働基準監督署に出された労災補償の請求数は438件で、そのうち108件が認定を受けている。

請求数、認定数ともに、いづれも過去最高の数字を示しており、なんらかの原因により 「 仕事を通じて精神疾患に陥る 」 人は増えているようだ。

すべての職場が、心身の健康を損ねず、誰もが笑顔で働けるような環境になれば、もちろん、それは理想的な姿であり、まことに結構な話である。

しかし、現実的に考えて、そのような状況に達し得るものだろうか。


たしかに、うつ病と職場環境の因果関係は存在するだろうし、その職場が劣悪な労働環境を含んでいるのだとしたら、改善の必要がある。

ただ、すべての事例において 「 同じ環境で、うつ病にならずに頑張っている人間 」 もいるわけで、それが明らかに企業側の責任とも言い難い。

一人の脱落者も出ないような 「 ぬるい環境 」 にすれば、精神疾患に陥る人間も減るだろうが、たいていの場合、その職場の生産性は落ちる。

ごく一握りの 「 か弱い人々 」 のために、企業の経営を悪化させることが、はたして全体の幸福に結びつくのだろうか。

企業側の利益というものを考えると、彼らを解雇して 「 タフな人材 」 と入れ替えるほうが、冷たいようだが 「 理に叶っている 」 はずである。


誤解の無いように申し上げるが、病人を責めるわけではない。

しかし、企業というものは、自社の労働力を高い水準に求め、より良い成果を挙げる活動を行う責務を帯びており、その呪縛からは逃れられない。

その中に一人でも、「 僕、つらいです 」 と泣き言を漏らす者がいる度に、「 ごめんね、もうちょっとノンビリやりましょう 」 というわけにはいかない。

つまり、そういう場合には、その本人さんが 「 勤まる能力に見合った職場へ移る 」 か、職場に留まりたければ、欠点を克服してもらうしかない。

それを、「 非情だ 」、「 無慈悲だ 」 と糾弾されても、慈善事業じゃないかぎりは、企業側からレベルを下げることはできないだろう。


どんな職場でも、長く勤めようと思えば 「 弾力性 」 と 「 強靭さ 」 が求められるもので、うつ病の人にはその片方か、あるいは両方が足りない。

少し探せば、なんとか勤まる職場があるもので、賢い人は精神がボロボロになる前に、給料は下がっても 「 身の丈にあった企業 」 へ転進している。

タチが悪いのは中高年のうつ病患者で、「 昔は、バリバリ働いていた 」 という自負のある、変なプライドだけが高い 「 自称 エリートさん 」 達である。

彼らの多くは、「 昔は精神が健康だったので、厳しい環境にも適応できた 」 と思い込んでいるが、実際に話してみると 「 勘違い 」 していることが多い。

変化したのは 「 己の健康 」 ではなく、市場の動向や、景気そのものだったりして、つまりは若い頃から潜在的に 「 心身が弱かった 」 のである。


病人にも 「 良い病人 」 と 「 悪い病人 」 があり、己の立場や役割、置かれている環境と正面から向き合い、ちゃんと努力している人もいる。

激務によるストレスから自分を解放するために、働いていた会社を辞めて、楽な軽作業に従事しながら、治療に取り組んでいる人も知っている。

かたや、ネット上で罵詈雑言を撒き散らし、ストレスを発散しているつもりが 「 余計にストレスを抱える結果 」 に陥っている人もいるようだ。

それでは、いつまでたっても治らないのだが、指摘すると 「 俺は病人なんだぞ 」 と逆ギレされるので、なんとも手の施しようがない。

こんな人物が世の中に増え、なんとも難しく複雑な社会になってきている。


荒療治かもしれないが、自転車の乗り方を覚えるまでには何度か転倒して 「 体で感覚をつかむ 」 必要がある。

自転車に乗れない人のために、ふわふわのスポンジで出来た練習走路を用意したり、行き詰まったときに絵本を読んで慰めても、上達などしない。

それと同じく、厚生労働省による指針のような 「 ぬるい社会づくり 」 だけでは、精神疾患に陥った人たちを社会に適合させることなど難しい。

うつ病患者を追い込んだら 「 自殺に走る 」 という警戒心から、誰もキツイことを言いたがらないが、実際はそうである。

さらに社会背景が厳しくなる中、「 ぬるい社会 」 を目指すことは、はたして 「 強く生きる方法 」 を教えることよりも、本当に優先されるのだろうか。


( 本日のおさらい )

「 “ 優しさ ” と “ ぬるさ ” を勘違いしてはいけない 」






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