Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2004年11月20日(土) 異常者パラダイス日本


「 中国語で “ crisis ” という単語は、二つの漢字から成っている。

  一つは危険を意味し、もう一つは機会を意味する 」

            ジョン・F・ケネディ ( アメリカ合衆国第35代大統領 )

When written in Chinese, the word “ crisis ” is composed of two characters
− one represents danger and one represents opportunity.

                              JOHN・F・KENNEDY



普段から何気なく使っている漢字を、あえて分解して考えることは少ない。

言われてみれば、たしかに 「 危機 」 という漢字は、そのように成っている。


もしそうなら、それは 「 危険が及ぶ機会 」 ではなく、「 危険から学ぶ機会 」 であってほしいものだ。

人間は誰でも失敗をする。

だから、そのこと自体を責める気はないが、そこから何も習得せずに失敗を繰り返すのではなく、マイナスの経験を活かすことが大事だろう。

つまり、「 失敗をしないこと 」 よりも、「 失敗から学ぶ 」 とか、失敗を反省することにこそ、人としての真価が問われるのではないだろうか。

良い社会をつくるためにも、当然、その努力は不可欠である。


小学生が誘拐され、さしたる理由もなく惨殺される。

世の中は、どんどん 「 マトモな人々 」 にとって、暮らし難くなっている。

犯人は未だ逮捕されていないが、まず間違いなく 「 人格障害者 」、「 異常性欲者 」 の類とみて狂いはないだろう。

アイルランドという国家は 「 暮らしやすい国ナンバーワン 」 だそうで、わが日本は17位なのだそうだが、それは 「 マトモな人々 」 の基準である。

いわゆる 「 異常者 」 にとって、この国は 「 地上の楽園 」 といってもよいほど保護されており、まさに 「 住みやすさナンバーワン 」 かもしれない。


精神異常者は、いたるところに居り、それは静かに身を潜めているばかりでなく、我々の周囲を堂々と闊歩している。

薬物を乱用して発狂した者もいれば、日常生活での瑣末なストレスに負けて心のコントロールを失ってしまう者、理性の利かない者もいる。

日ごろから暴力をふるったり、あるいは自殺癖があって己の体を傷つける者、軽微な犯罪の習慣から抜け出せない者もいるだろう。

共通しているのは、「 ある日、突然に人を殺した 」 わけではなく、それまでによく観察していれば、必ず異常な兆候があったところである。

近所の幼児にいたづらをしたり、ネットで異常な書き込みを重ねていたり、異常者には 「 病的な犯歴 」 があるもので、今回も例外ではないだろう。


警察の検挙率が落ちたのにも関連しているが、とにかく最近の日本社会は 「 異常者の人権 」 について、それこそ異常に庇う傾向にある。

薬物中毒者、リストカッター、性犯罪歴者などに対し、とにかく寛容で、犯罪や事件との結びつきを疑うことさえも許さないような風潮が蔓延している。

法曹界も、医師会も、人権団体も、異常者を 「 上得意先 」 のように扱い、万が一、事件に関与していたとしても、それを 「 無実 」 だと主張する。

誤解のないように申し上げるが、ここでいう 「 異常者 」 とは先天的な精神薄弱者などではなく、「 己の弱さで精神が破綻した者 」 のことだ。

けして可愛そうな病人達ではなく、薬物や嗜好品の誘惑に負けたり、歪んだ根性で卑屈にならざるを得なかった 「 異常者 」 のことを指す。


もちろん、彼らには彼らなりの抗弁があるだろうし、精神の弱さは 「 病気 」 といえなくもないし、多少は慈悲をかける必要もあるだろう。

しかしながら、一般市民に被害の及ぶ可能性があるかぎり、野放しにすることは 「 危険 」 で、たえず監視下に置く必要はある。

思想統制などしなくても良いが、あきらかに 「 特定の思想ではなく、自分の憤懣を異常な形で表している 」 とみられる者には、目を光らせるべきだ。

そうでもしないと、この 「 異常者パラダイス 」 に 「 マトモな人々 」 は食い尽くされ、いづれは絶滅してしまう危険すら感じられる。

まぁ、そこまで行き着くまでには世論も変化するだろうが、いまのところは、過去の凄惨な事件の 「 反省 」 が、ほとんど現れていない状況にある。


イラク問題しかり、北朝鮮問題しかり、なんだかんだいっても日本人には、やっぱり 「 危機意識 」 が足りないといわざるを得ない。

平和だ、人権尊重だと叫んでいれば、必ずバチは当たるまいと信じ込んでいるお人好しと、その方向に結論づけたい異常者が、あまりにも多すぎる。

もちろん、多すぎるとはいっても 「 マジョリティ 」 ではなく、ごく一部の人格障害者のことなのだが、割合的にみて多いと感じる。

それらを糾弾することは、思想統制でも弾圧でもなく、社会秩序の安寧と、国際社会における国家としての責務であり、人権問題にも抵触しない。

なのに、何を恐れて 「 あなたは人格障害者ですよ 」 と明言できないのか、矯正したり隔離したりできないのか、とにかく不思議である。


このままでは、異常な事件が影を潜めることはない。

異常者が陽の当たる場所を堂々と闊歩し、幼児に接触しようが、反社会的な発言を繰り返そうが 「 お咎めなし 」 なのだから、当然の結果だ。

人権擁護団体のトップが家族を異常者に殺されたり、マスコミが標的にされたりすれば状況は変わるだろうが、それを待つわけにもいかない。

そろそろ、人格障害者に対して 「 あんた異常だよ 」 と言える程度の社会には変えていかないと、悲しい事件は後を絶たないはずである。

被害者のご冥福を祈るとともに、その死がもたらす 「 社会の怒り 」 が無駄にならないことを、心より願うばかりである。


( 本日のおさらい )

「 人格障害者に過保護すぎるのは、彼らのためにもならない 」






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