Tonight 今夜の気分
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2004年09月13日(月) 経験と円熟


「 歳をとるという、おそろしく高い代償を払って、人は円熟する 」

                           トム・ストッパード ( 劇作家 )

Age is a very high price to pay for maturity.

                               TOM STOPPARD



昔から、「 先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし 」 という川柳がある。

誰が言ったか知らないが、権力者への風刺が込められているのだろう。


けして権力など身につけたわけではないが、最近ちと 「 先生 」 と呼ばれる場面が多くなり、川柳が事実ならば 「 馬鹿になりつつ 」 あるらしい。

若い頃、ある人から 「 人間の欲望とは、20代、30代はお金の欲、40代、50代は地位の欲、60代以降は名誉欲だ 」 という話を聞いたことがある。

たしかに、20代の若者に 「 お金の伴わない地位 」 など与えても喜ばないだろうし、40代を過ぎた会社員なら、多少の肩書きも欲しくなるだろう。

私なんぞは 「 小者 」 なので、40代半ばの今でも 「 地位よりお金 」 というタイプなのだが、いかんせん 「 付き合い 」 というものもある。

また、「 今まで幸せに生かしてくれた社会 」 に対し、そろそろ多少の恩返しをしてもよい頃だという考えもあり、ちょっと 「 先生 」 も始めてみたのだ。


大企業を離れた今、生活の糧はすべて 「 自分自身の活動 」 に掛かっているわけで、勤め人時代にも増して、西へ東へ走り回っている。

けして、他人様の心配などしている余裕はないし、いわゆる 「 名誉職 」 なんてものには今のところ、まるで興味も無い。

それでも、自分のことを 「 比較的、余裕がある 」 と見る人や、自分の経験を他人に役立てられると思う人がいたらしく、「 白羽の矢 」 が立った。

仲介した人への義理もあり、報酬面で魅力を感じられない仕事だが、他人様の相談に乗ったり、ちょっとした 「 教育を施す 」 事業に参加している。

当然、自身の事業は続けないと生活に窮するので、余暇や休息の時間をそれに当てるわけで、かつてないほど目の回る忙しさが予定されている。


有り難いことに私の両親は、私を 「 健康で、無理の利く体 」 に産んでくれたようで、契約期間においては、多分、それなりの貢献は果たせるだろう。

また、「 新しいことに好奇心をもって挑戦する 」 という気性も、おそらく遺伝的に備わったものだと思う。

今までは、それを自分のためだけに使ってきたし、これからも自分のためであることに変わりはないが、「 何パーセントか 」 は社会に奉仕してもよい。

きっと、それは 「 税金 」 みたいなものだろう。

今のところは、厄介な話だなぁという感覚も強いが、いつか恩着せがましく 「 してやってる 」 という意識が消える頃には、自然に順応できるのだろう。


少し前、他の先生方との 「 顔合わせ 」 を行ったのだが、事前に聞いていた通り、皆さん 「 私よりも、ずいぶん年上の方 」 ばかりである。

実際、40代は私一人で、いわゆる 「 最年少 」 にあたる。

学校の教師がそうであるように、50代、60代の 「 同僚 」 からも 「 先生 」 と呼ばれ、慣れていない私には、どうにも感覚的にこそばゆい。

ちなみに、生徒さんの大半も 「 人生の大先輩 」 が多いのだが、「 先生 」 と声を掛けられても、なかなか自分のことだとは認めにくい次第だ。

なんらかの形で 「 頼りにされている 」 以上は、恐縮してばかりもいられないし、かといって偉そうに構えると生意気っぽいので、スタンスが難しい。


かつて 「 年上の部下 」 を指揮したことはあるが、「 年上の生徒 」 の面倒をみた経験など皆無なので、いささか対応に苦慮している。

契約上の守秘義務があるので、詳しい事情は話せないが、高齢化社会が進む中で、おそらく 「 私の新しい仕事 」 を担う人物は増えてくるだろう。

そこに必要な資質は 「 経験と円熟度 」 なのだそうで、「 円熟している 」 という評価を喜んでよいのか、悪いのか、ちと悩むところだ。

同世代の中では 「 若くみえる 」 ことを自慢にしたり、競い合ったりしていたつもりが、50代、60代に劣らぬ 「 円熟度 」 で、この度は評価された。

わずかな救いは、「 同僚 」 の諸先輩方が、けして実年齢どおりに老け込んだり、熱意を失ったりされていないところだろうか。


それでも、この仕事を引き受けて 「 よかった 」 と思っている。

一般的なボランティアや、社会奉仕活動と違って、「 自分が社会で身に付けた特徴といえる部分 」 を、より端的に役立ててもらえそうだからだ。

それを、「 社会に対する感謝の還元 」 などと位置付けるのはおこがましいけれど、もっとシンプルに 「 借りを返す機会 」 とは考えられる。

生きていくということは、両親や、周囲や、他人や、社会に 「 借りをつくる 」 ことでもあり、それを返す実感があるならば、気持ちの上で満足できる。

ただ、「 労多くして儲からない 」 のもやっぱり事実で、その点を不満に思うのは、まだまだ 「 円熟 」 とは程遠い存在なのだろう。


( 今日のおさらい )

「 生きることは、借りをつくること 」

* ご利用は計画的に






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