Tonight 今夜の気分
去るものは追わず、来るものは少し選んで …

2004年03月17日(水) テロに共鳴する連中


スペインで鉄道テロが発生し、多くの尊い人命が犠牲になった。

日本でも同様の事態が懸念されるのではないかと、物議をかもしている。


テロ直後、スペインでは、イラク派兵に合意した政府与党が選挙で敗退し、野党に政権を奪取される形となった。

小泉首相いわく、「 日本とスペインでは事情が違う 」 とのことだし、それに、多くの人が支持政党を変えた背景には、テロ以外の理由もあっただろう。

ただ、このようなタイミングで政権が変わり、新しい指導者が派兵をとりやめたりすると、ちょっと 「 テロリストの思惑どおり 」 のような気がする。

日本政界でも、民主党の代表あたりは早速、それを政治利用しようと画策しているようで、どうも感心しない発言が出始めている。

事情はともあれ、他人の不幸を自分達の利益に結びつけるような手法は、倫理観に欠けているような気がするのだが、どうなのだろうか。


事件の後、スペインでは大規模なデモが、立て続けに行われた。

個人的に 「 デモ 」 は大嫌いなのだが、スペインでのデモは、「 テロに反対する抗議デモ 」 であり、人々の平和に対する祈念というものが感じられた。

日本で繰り広げられるデモに辟易するのは、真実の敵であり加害者であるテロ組織を糾弾せず、政府与党や、アメリカ政府を標的にするところだ。

その姿は、「 外で不良にイジメられた子供が、相手には怖くて逆らえないので、お母ちゃんに泣きながら文句を言う 」 様子にそっくりである。

支離滅裂なことを泣きながら叫び、母親の胸を小さな拳で叩くことが自分の使命であると思い込み、本来の敵と対峙することなど、思いも及ばない。


日本政府にケチをつけたり、アメリカ大使館に嫌がらせをするのは、相手がけして自分に対して 「 危害を与えない 」 と知っての甘えである。

口先では 「 アメリカは冷酷な乱暴者である 」 と叫ぶ片方で、アメリカ人は嫌がらせや悪口に対しても、良識的に反応してくれることを知っている。

そんな 「 幼稚で馬鹿馬鹿しい自己満足 」 のために、道路を渋滞させたり、騒音を発したり、海外に恥を晒す連中は、まことに愚の骨頂である。

日本でも、たとえば広島で原爆の犠牲になった方々への慰霊会など、本当に犠牲者の冥福と、未来の平和を祈ることを目的とした厳粛な集いもある。

実際に米軍の攻撃によって肉親を失った遺族のほうが、アメリカへの恨みつらみではなく、死者を弔うことに専念しているというのも皮肉な話だ。


どこの党に投票しようが、デモやら集会に参加しようが、それは個人の自由なのだが、動機や目的を誤らないようにしたほうがいいだろう。

個人のサイト等でも、イラク派兵に関して反対したり、それを理由として小泉政権に難癖をつける人たちの文章には、かなり危険な兆候がみられる。

たとえば、「 ブッシュは犯罪者だ 」 とか、「 アメリカを支持する日本政府も同罪だ 」 とか、そういった記述が目立つのだ。

それは、どこかで見たことのある台詞だなあと思い、よく考えみると 「 テロ組織が犯行声明に使っている言葉 」 と、そっくり同じなのである。

彼らにはテロ活動を行う度胸などないので、そういう心配はしていないけれど、性根がひねくれてしまったせいで、犯罪者の思想に傾注しているのだ。


一部の狂人を除けば、平和を願う気持ちは誰しも同じであろう。

ただ、「 今の世の中は平和なので、じっとしていましょう 」 と考える層の人たちは、憲法が変わったり、自衛隊が動くことに反発しやすい。

彼らにとっては、その活動が、飲み水を浄化したり、病院や学校をつくることを目的としていても、あまり気休めにはならない。

反対する意見は、戦争への加担なのか、奉仕的な活動かということよりも、発端が 「 自発的な善意か、同盟国への協力か 」 に主眼を置いている。

一方では、「 今の世の中は平和でないので、対策が必要 」 と感じている層もあり、現状から目を逸らさないならば、そちらが正しいように自分は思う。






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