羽積風narration
…どうかなぁ?

2000年08月13日(日) 経験の多さとは

銀色夏生さんの『空の遠くに』を読んでいると、次のように書いてあった。

“経験者は、その経験をたてに、
 未経験者をいたずらにおびやかすべきではない。
 年長者は、でもいい。年長者は、その経験をたてに、
 年少者をいたずらにおびやかすべからず。”

…本当にそう思う。今は。
アドバイスなんていうものは、その年少者と全く同じ感情を持っており、
更に、全く同じ人生を送ってきた者がする以外には、なんの意味も無い。
そして、そんな人は存在し得ない。

その年少者がこれから直面しようとしている場面に自分も以前直面した
ような気がしても、それに関わる人物が違うのだから、ずいぶんと違う
結果にたどり着くかもしれない。
例えその年長者の経験と同じ結果にたどり着いたとしても、その結果を
年少者が同じように受けとめるかどうかはわからない。

「そういうふうにすると、こんなふうになって、こんなイヤな思いを
 するからやめておきなさい」という忠告をしても、
今回も“こんなふうに”なるかどうかは分からないし、
“こんなふう”になったとしても、それを“イヤ”だと受けとめるか
どうかは分からない。ほとんどのアドバイスには意味が無い。
いや、アドバイスという名の命令には意味が無い。

「私のときは、こうだったよ」「こんなふうに感じる人が多いよ」
という情報には意味があると思う。
そういう情報は一つでも多いほうがいい。参考にはできるから。

経験者・年長者は多くの場合、それを情報程度に与えず、
命令として与えるから意味が無いのだろう。

人が常識だと思っていることには、
その人を取り囲む小さな社会の中の常識に過ぎないことが多い。

私は派遣社員としていろんな会社を転々としているけれど、
「世の中そういうものだよ」「どこに行っても同じだよ」
というおじさんの多いこと!
そして そんなおじさんに限って、親の金で出た大学を卒業して、
その会社に入って、そのまま何十年という経歴を持つ。

そういう人をばかにはしない。
一つのことを何十年も続けることはすごいことだと思う。

ただ、「どこに行っても同じだよ」はいただけない。
だって、そうでない社会もあることを私は見てきているから。

自分が知らない世間を、その年齢だけで知った気になって話すのは良くない。
まぁ。どこに行っても同じだと思わなきゃやってられないことも
あるんだろうから、それはそっとしておいてやろう(笑)。

経験の多さは年齢では計れない。
単純に数でいけば、歳を重ねたぶん経験の数も増える可能性が高い。
ただ、それに真正面からぶつかったか、他人の力で乗り越えたか、
どっぷりと浸かったか、心に深く刻み込んだか…
いろいろな要素が絡んできて、はじめて経験の多さは決まると思う。
その人の人生の上をそんな出来事が通り過ぎただけ、ということも多々ある。

私は年上でも年下でも、自分の人生に降りかかった出来事に
真剣に対応してきた人を尊敬する。ただ、それだけのことです。
経験が実になっている人は、好きです。
無駄に歳くってきた人は、どうでもいいです。

そう思います。今は。
これと同じことを、世間から年長者と呼ばれる歳になって 
もう一度書くことができたら、それは本物でしょう。
今は「若僧が生意気なことを言っているだけだ」といわれてもしかたがない。
自分が人に威張れる理由を年齢にしか見出せない大人にそう言われるのはしかたがない。
私がいい歳になったときに、もう一度同じことを書けるように生きていきたいと思う。


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汐 楓菜 [MAIL] [活動記録]

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