2000年08月11日(金) |
自分の規準で他人を見ない |
善悪の規準は人によって驚くほど違う…ということを最近書いたような 気がしますが、また改めて書きます。私自身のために。
物事や言葉にはなんでも二面性(あるいは三面、四面)があるということを できるだけ意識していくようにしているつもりですが、本当にそうだなぁと 思いなおすことが多々あります。
“執着心がある”と“諦めが悪い” “熱心”と“しつこい” “協調性がある”と“自己が無い” “冷静”と“冷めてる” “明るい”と“うるさい” “物静か”と“暗い” “よく気がつく”と“おせっかい” “にぎやか”と“うっとうしい” “スキンシップ”と“セクハラ” “まじめ”と“かたい”
それは、もう、ありとあらゆるものに二面性があります。 どうすればいいんでしょう?
なんでも度を過ぎるといけないということかも知れませんが、 その“度”の規準でさえ、人によってまちまちなのです。
そんななかで、どうやって人間関係を築けばいいんですか? 大きく分けると、“その場その場で権力者やうるさい人にあわせていく”か “多数決”か“自分の規準を貫き通す”かでしょう。 そんな中でも、譲れるところは譲る。これは基本かも知れません。
そしてマナー違反なのは、 自分の規準に照らし合わせて他人の性格を批判することだと思います。 「あなたは堅過ぎる」とか「あの人は諦めが悪い」などです。 “私より〜〜”というだけのことですから。
“人と人とが上手くいかないことの原因の多くは、 無意識のうちに相手にも自分と同じ規準で動くことを求めているからだ” というようなことを読んだ覚えがあります。 (確か、最近話題になってる『話を聞かない男、地図が読めない女』 という本に関する記述だったと思いますが、これは男女間に限った ことではないでしょう)。
しかし、これはかなりの頻度でやってしまう過ちです。気をつけたいです。 …と同時に、これを気にしはじめたら人間は何も語れなくなってしまう ような気もするのですが、どうなんでしょう。 まず、批評家・コメンテーターは失業ですね。 やっぱりわかりません。どうしたらいいんでしょう。難しいですね。
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