部長motoいっぺい
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2004年01月15日(木) |
狂牛病問題に見るダブルスタンダード |
アメリカで狂牛病に罹患した牛が発見されたことにより、現在日本はアメリカからの牛肉の輸入を全面禁止している。日本側はアメリカに対して、解体する牛の全頭検査を実施することを輸入再開の条件としているが、アメリカ側はこれを過剰反応と批判している。この措置に関する是非はさておき、僕がこの問題について感じたところを記しておく。
それは、仮にアメリカが牛肉の輸出大国ではなく、輸入大国であった場合、「間違いなく相手国に全頭検査を要求するであろう」ということ。こういった安全性問題(食に限らない)に関しては、日本よりもアメリカのほうがはるかにヒステリックである。
これは2年半の間、アメリカ人(政府・企業)の行うこと、考え方を見てきた僕による、ほぼ確信に近い推論である。
一言で言えば、「相手に厳しく、自分に甘い」ということなのだが、タチが悪いのはダブルスタンダードそのものではなく、アメリカ人が、自分たちがダブルスタンダードであるということに気がついていない、ということだと思う。
アメリカ人は、その都度その都度の議論をとても大切にする。しかしそれは、その時に最も声の大きい人の意見が通ることも意味し、時にそれまでの経緯を全く無視することすらあり、同じ事柄であっても結論が正反対になることも珍しくない。これがダブルスタンダードの要因の一つとなっている。 狂牛病問題を例にあげれば、最初に書いたように、アメリカが他国から牛肉を輸入しなければならないような国であれば、相手国に全頭検査を要求するという結論になると思われる。
これは、悪意のあるダブルスタンダードではなく、議論の結果として発生するダブルスタンダードであるため、当の本人たちにその自覚がない。そのためこういった問題が議論になると、いかに自分たちが正当で相手が間違っているかを、何の疑問も持たずに主張し始める。
こういった面が、世界の中でアメリカが孤立しつつある原因の一つであると思われる。尊敬される国になるためには、相手国の主張を尊重することが大切であることを、アメリカ人は知る必要があると思う。
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