部長motoいっぺい DiaryINDEX|past|will
以下は、一人の海外在住日本人が感じた「イラク問題」に対する思いである。 今回のイラク問題の論点は、「イラクが大量破壊兵器を隠し持っているか否か」であるが、これに「フセイン大統領の脅威」が加わっている。 すなわち、仮にフセインが日米で言われているような危険な人物だとしても、大量破壊兵器を持っていなければ、軍事的に制裁する程の脅威にはならないのだろうし、仮に大量破壊兵器を持っていたとしても、フセインが「危険な人物」でなければ、これもまた軍事制裁には至らないという論理になる。 後者の組み合わせに関しては、例えばインドとパキスタンは核拡散防止条約批准国ではなく、核兵器を保持しているが、これらの国のトップが「危険な人物ではない」ため、軍事制裁の対象にはなっていないことからも、この論理の正当性が証明できる。 では、前者の組み合わせはどうなのだろう。 イラクのフセイン大統領は独裁者で、クルド人なる民族を虐殺した(している)犯罪人だというのが、日米のフセイン評である。国内には諜報組織が散らばっており、国民が自分の意見を言うこともままならないと言う。 しかし、当のイラク国民はどう感じているのだろうか。 テレビで見るイラク国民は、少なくとも北朝鮮の人々よりは、自由に表現をしていると僕は感じる。仮にその内容が反米感情であったとしても、強制または洗脳されて主張しているようには見受けられない。反米感情を持っているのは、フセインとは関係の無い、別の理由なのではないか。 もちろんフセイン大統領に不満を抱いている国民も少なくないのだろう。しかし、そのフセインを追い出す手段として、「自国に爆弾を落とす」アメリカに対して感謝の念を抱くかというと、僕ははなはだ疑問なのである。 では仮に、フセイン大統領が世界にとって危険な人物で、かつ大量破壊兵器を持っているとして、本当に「今」攻撃する必要があるのだろうか。 今のアメリカは、「闇討ちをくらいそうだから、先に殴り倒してしまえ」という論理で、イラク攻撃の構えを見せている。 9.11の時は、確かにアメリカは「攻撃」され、多くの人命を失った。だからこそ、アフガニスタンへの攻撃は、「自国の防衛」として世界各国の理解を得られたのだろうが、イラクからはまだ具体的な攻撃を受けていない。 もしアメリカが、「自国の国民には指一本触れさせない」という立場をとるのならば、「今」攻撃しなければならないのだろうが、そんなことは現実的ではない。脅威の相手はフセインだけではない。 そして、どんなにアメリカ軍が強力であろうとも、イラクへの攻撃を開始した段階で、少なくとも「自国の国民の一人」である兵士の生命の危機は飛躍的に高まるのだ。 「やられたらやり返すぞ!」という凄みを利かせるだけでは満足できないのが、今のアメリカなのだろう。 そしてそれは、9.11の後遺症なのかもしれない。 (続く)
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