部長motoいっぺい
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2002年02月23日(土) |
駐在発令!(子供の反応) |
嫁の落ち込みようは、僕の想像をはるかに越えていた。
「あー、この人本当に外国に行きたくないんだなあ」
としみじみ思った。
内示の出た日の夜は、僕と嫁と娘の3人だけで過ごす初めての夜だった。 息子は幼稚園の「お泊り保育」で先生・友達と夜を過ごしていた。
その日は夫婦で何を話し合ったかあまり覚えていない。 覚えているのは嫁の落ち込みぶりと、それでも僕の希望が叶ったことに対して 「よろこんであげなくちゃ」 と僕に気を使ってくれている嫁の姿だ。
翌日は仕事を定時にあがり、まっすぐ帰宅した。
珍しく夕食を子供と共にしながら、息子に「お泊り保育」のことなどを尋ねた。 友達と一緒に一晩過ごしたことがとても楽しかったようで、皆でスイカを食べたことや、夜に花火をしたことなどいろいろと話してくれた。
夕食が終わり、僕はいよいよ息子に転勤の話を切り出した。
「今度おとうさんの仕事の関係で、みんなでアメリカに引っ越すことにしたよ」
話し方としては可能な限り明るく、かつみんなで一緒に行くことを強調したつもりだった。 彼は一瞬混乱した顔を見せたが、すぐに状況を正確に把握した。 引っ越すことの本当の意味を理解できないのでは、と思っているのは親だけだった。
「じゃあ、幼稚園かわっちゃうの?」
「お友達とはなれちゃうの?(半べそ)」
「いやだー、アメリカ行かない!(大泣)」
「また、ここに帰ってくるからさあ」
「おまえだけ一人で残すわけいかないだろ」
息子に何を言ったか正確には覚えていないが、こんなことを言ったような気がする。 妹(当時3歳半)は、やはり幼いため、引越しの意味を理解していない。
「おにいちゃん、みんなでいくんだからいこうよー」
と、分かったようなことを言っていた。
息子が意外なほど引越しに抵抗を示したため、僕は息子が可哀想になり、不覚にも嗚咽をもらしてしまった。 子供の前で泣いたのはこれが初めてだと思う。
すると横にいた嫁が、
「もうみんなで行くって決めたんだから!」
と強い口調で息子に言った。 自分に言い聞かせているようだった。
「じゃあ、何回泊まったらここに戻ってくるの?」
と息子が尋ねたので、僕は明るく
「1000回くらいかな?」
と答えた。
「1000回いやだー!1回がいい!(絶叫)」
「1回じゃ行って帰ってくるしかできないよ(泣笑)」
こんな会話を繰り返し、その夜は結局
「20回泊まってみて、帰るかどうか考える」
というところまで譲歩を引き出した。
次の日は普通に幼稚園がある日だった。 前夜に衝撃的なことがあったので、幼稚園に行くのをいやがるかなあと若干心配していたのだが、引越しに対してぶつぶつ文句を言いながらも普通に幼稚園に通ったようだ。
でも友達にはボソッと言っていたらしい。
「おれ、今度アメリカに引っ越すことになったんだ」
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