東北関東大震災が起きてから、3日ほど。
自分の気持ちが少し落ちついてきたのと。
今更ながら言われようもない不安とか、もどかしさとか、自分の弱さとかを感じてしまって。
ここで吐き出そうと思う。
地震が起きてから、様々な情報が飛び交ってる。
私もできるだけ確実で役に立つ情報をと思って、ついったから幾つか発信していたのだけど。
どうしても気になる現象がひとつ。
私の地域、計画停電が決定してから買いだめする人達が更に増えた。
食料品はもちろん、懐中電灯、乾電池(単1と単2)、蝋燭、ティッシュ、トイレットペーパー、ガソリンなどなど。
これは私が生まれる前に起きた「オイルショック」の状態に似ているのだろうか……
で、こうなった理由を色々考えて、私なりの見解をひとつ。
これは当たり前のことかもしれないけど。
情報が多い所は、被災してなかったり、比較的被害が少なかった場所だ。
ライフラインが生きてるから、TVやネット、電話からも情報が取れる。
そこに住んでいる人達はあまりの情報量、特に現地の映像に少なからず影響を受けているのだと思う。
だから必要以上の懸念を抱えて「次は自分か?」「もしかしたら」と想像を広げて、結果「買いだめ」といった行動に走ってしまってる気がする。
とりあえず今は大丈夫だけど先のある未来なんて約束されたわけじゃないから。
今も続く余震に安全なんて言葉が効くかどうかも怪しい。
だから少しでも長く生きる術を捜している。「物」で「安心感」を買っているというわけだ。
まぁ、私もその気持ちは分からなくもないし、実際スーパーに駆け込んだのもあるから。
そして、被災地に居る方の方が、情報が全く入って来ない状態だということだ。
どんなに情報が欲しくても、電話回線は途切れていて、ネットすら見れない。
孤立して安否の連絡すらとれない状態の人がどれだけいるだろう。
地震に遭い、津波で家を失い、着の身着のままで避難所にたどり着いた彼ら。
でも彼らは自分の命があること、家族が生きていてくれただけで救われている。
少ない物資の中でも、なんとかやりくりして生き延びようと努力している。
離れてしまった家族や友人を探すことで、自分を奮い立たせている。
「物」ではなく「人の存在=安心」であり拠り所となっているんだ。
どちらもそれは人間の本能で、今までにない危機感が彼らをそうさせたのかもしれない。
情報の量と人間の行動がこういう形で表れてしまうと、被害の少なかったこちらの迷走ぶりが浮き彫りになってしまって、なんだかなぁ、というか。
「自分にできること、相手にできることを」と言いつつ、少しの事でパニくってしまった自分が恥ずかしいやら情けないやらで……
自分でも何やってるんだろうというか、改めて反省することがちらほら。
ちょっと落ちついて疲れが出たのかもしれない。
冷静な判断ができるまで「情報」と距離を置こうかと思う。