以前民主党政権内で初の死刑執行について
もの申しましたが、今日死刑の刑場が報道陣に公開されたということで少し語ってみようかと思います。
(個人的主観もありな話。話題が話題なのでこういったのが苦手な方はスルーの方向でお願いします)
死刑の刑場 初公開。
私はネットと新聞の夕刊記事の写真で見たのですが。
びっくりしたのは刑場が広く明るい部屋だったということです。
よくテレビや映画などで出てくるのは薄暗いじめっとした感じだっただけにこれは意外でした。
あとは小説やウィキなどの情報に出てくるものとだいたいイメージが一致していたかな。
まぁ、あまり見てていいものではありませんけどね。
今回の情報公開に関しては私は割と肯定的というか、そうだなという考えであります。
それは何故かと言うと「死刑の撤廃」を本気で進める側からすれば、私たちが死刑がどういったものかを咀嚼し理解する必要がある、と提示するのが自然だと思うからです。
海外では処刑場公開しているところも見受けられますし、そういった上で刑場の公開はまぁ当然の流れだろうな、と。
またも言い方が悪くなってしまいますが。
千葉法相は先日の死刑執行を糧とすることで死刑撤廃への足がかりを作ったわけですね。
法の下で失った命と引き換えに、といってもいいのかもしれません。
それは人道的にどうかという意見も出るでしょうが、(死刑制度はいたしかたないと思ってしまう)私から見れば死刑撤廃に向けた確実な一歩だと思いました。
皆が「死刑」の実体を知ることで、精神的な苦痛も含め、死刑に負のイメージを与える。
→恐怖を与えることで、犯罪に対する意識や考え方が変わる。凶悪犯罪の抑制につながる?
法の下での「裁き」に対する意識を変える。
→裁判員制度などを導入している現在、国民に法律や事件への関心を高める。罪と命の重さを改めて考え直す?
とまぁ新聞記事を読んで、私の中で先のイメージがこんな風に湧いてきたわけですけど。
これはまだ序章にすぎないと私は思います。
正直な気持ちをぶっちゃけて言うなら死刑の前に、そういった犯罪なくなれと思います。
そうすれば法の下で死を下すことはなくなるのですから。
死刑は仕方ないよな、とかこんな怖い事考えずに済むわけですから。
被害者からしてみれば、そういった犯罪がなければ幸せな日を送り続けていられたわけですから。
でも人の心は永遠に「善」を維持できるものじゃない。どこか欠けてしまったり、環境や間の悪さで壊れてしまったりするのでしょう。
憎しみが生まれることで殺意を知ったりする。それは加害者も被害者の遺族も同じことで――
そのたびに理性と向き合うけど、どれだけの人が一歩手前で踏みとどまれているのでしょうか?
追いつめられた人に気づき、踏みとどまらせることができたのでしょうか?
繰り返しますが、死刑制度廃止に向けて綺麗事を棄てて踏み切ったことは(個人的に)評価したいと思っております。
うん、綺麗事を言うならその分どこかで痛みを知れというか、痛みを知らないと本当に綺麗な物は何なのか気づけないと思うんですよ。
少なくとも私は自分の中にあるどろどろとしたものとか、痛みとか、そういうのをちゃんと理解して、紆余曲折しながらも必死で生きている人こそが本当に美しいと思うし、魅力を感じるんですよね。
そして先を見据えた考えこそが未来への平穏と発展につながるのではと思います。
死刑について実際その通りに進むかどうかは法相他、お役人さんたちの腕にかかっています。
そして私たちの意識次第でもあります。
最高裁判所は「死刑を残虐な刑ではない」という判断を下しております。今の世の中で、合法的な殺人は戦争と死刑だと私は思っております。
法の下での殺人は果たして罪なのか、そうではないのか?
人の命について私も頭をぐるぐるさせながら、この論争を追いかけていきたいと思います。
……うう〜、まとまらねぇ文章orz
こんなの書いていると自分、人からどう思われているのかなぁと、気になってきちゃうのだけど。
これはできることなら平穏でいたいと思っている小市民の独り言ですので。あくまで一意見として見ていただけたらと思います……はい。