「それ」を知ったのは時計が12時を知らせる前のこと。
いつもの仕事場のいつもの休憩室。それぞれがお弁当を広げ、たわいもない会話で和む昼休み。今日は時間が進むのが早いな。そんなことをぼおっと思っていた矢先だった。
ZARDのボーカル、坂井泉水が転落死。
周りにいた人達も休憩室にあるテレビに注目していた。静寂が辺りを襲う。口にしないけど、誰もが驚いていた。
私の心が一瞬だけ、ざわついた。
報道によると、彼女は病院の非常階段で頭から血を流して倒れていたという。病院にいたのは、彼女が子宮頸の癌を患い、肺に転移していたから、だそうだ。 抗癌剤治療で経過は順調だった。今年の秋にはアルバムを出し、3年ぶりにライブツアーをする予定だったという。
彼女の名前がテロップに流れ、年が40才だったことを初めて知った。辺りがどよめく。
みんな、彼女がもっと若いものだと思っていたのだろう。私はというと、多少は驚いた。でもまぁ、その位の年だよな、と私は妙に納得してしまう。
なぜなら彼女の曲を初めて聴いたのは私が小学校6年生の頃だったからだ。当時の年齢から約2.5倍の時を過ごした現在、彼女の40という年齢は当たり前というか、自然な流れというか。
それでも彼女が闘病中だったなんて、知らなかった。その方が衝撃的だった。
彼女の転落死に警察は事故と自殺の両面から調べていると、テレビアナウンサーは伝えている。
正直、自殺であってほしくないと思った。自殺は残された者に憤りと後悔しか残らないから。死んだものが願った「幸せ」が自分とは違っていたことに愕然としてしまうから。
今のところ、事実ははっきりとしていない。事務所側はあくまで「不幸な事故」と言っている。私はその先を想像することを一旦止めた。テレビから目をそらし、現実を見据える。時間つぶしにと持ってきていた文庫本に目を通す。それでも。
「ショックだ……」
思わず言葉が落ちた。
小学生の頃、ドラマの主題歌で聴いた「もう探さない」が私の心を射抜いた。うわ、大人の歌だなと思ったのが第一印象。その後別のドラマ主題歌「In my arms tonight」で同じ声の人だ、と気づいた。それがZARDを知るきっかけだった。
とても気になってしょうがなかった。今では透明感のある声だと言われるけど、初期の曲は荒削りでも低音が効いていて、思春期まっただ中だった私には色っぽく聞こえて。
その後、自分のお金でアルバム「HOLD ME」を買った。しつこいくらいに聴き、曲を全部覚え、カラオケに誘われた時は必ずどれかを歌っていた。だが、私に衝撃を与えた歌姫はもういない。突然の訃報に何を思えばいいのだろう?
その日午後、気がつくと彼女の曲を心の中で口ずさんでいた。今までのアルバム曲が次から次へと流れていく。
「遠い日のNostalgia」
別れの歌。詩を巡らせながら、永遠の別れなのかな?半信半疑になってしまう。
「見つめていたいね」
歌詞に出てくる<3Gのキーパー>、彼女も彼と同じ場所へ逝ってしまったのだろうか。
「君がいない」
ぽっかりと空いた穴。なんだか仕事という現実で埋めているような気がする。
そういえば、最近は彼女の曲を聴くことも少なくなった。曲想が似ているのが増えたな、と思ったのもある。最初から揃えたアルバムも、いつの日か買わなくなって、引っ越しだからと中古で売りに出して。家にまだアルバム残っていたかな?今日家に帰ったら久々に聴いてみよう。
そして、仕事が終わった夕方、私は買い物もそこそこにして帰宅した。真っ先にオーディオに飛び込みたくなる。でも、私は主婦なのだと戒める。風呂に湯を入れ、洗濯物を取り込んで。そう、料理の片手間に聴こう。
ようやく、CDボックスに手が届く。相方が買ったのも含め、数あるCDの中から彼女の曲を探す。確かベスト版位は残していたはず……だが。
「ない」
自分でも知らないうちに売ってしまったらしい。私はZARDに対する自分の行動に後悔した。やっちゃったというか、馬鹿だというか……もう、何をやっているんだろう。怒りを超えて情けなくなる。でも。
ふと、壁にかかっていた時計を見上げた。かろうじて、店は開いている時間だ。相方の帰りを気にしつつも、私は半分も入っていない湯船の湯を切る。肩掛けのカバンをひっさげた。
今なら間に合う。「買い戻し」にいこう。
日が暮れた外は涼しかった。いつもより大きい歩幅で歩道を歩く。風が前髪を仰いで、なかなか着地しない。ちょっと寒いかな、と思い、ふと見た腕が剥き出しになっていたことを知る。上着を羽織るのを忘れたことにやっと気がついた。やばい。気持ちばかりが先走っている。私は一度深呼吸をして自分を落ち着けた。
数分後、中古の本やCDを取り扱っている店に入った私はいつも長居する本のコーナーを素通りし、CDが陳列された棚の前に立つ。心拍数を上げながら彼女の「歌」を探す……あった。
本当はベスト版が欲しかったけど、それは無いようだ。うわ、アルバムが発売当初より、月の重力以下の値段になっている。悲しいなと思いつつ、せめて自分が気に入った曲がいっぱい入っているのを選んだ。
「揺れる想い」と「TODEY IS ANOTHER DAY」
超特急で会計を済まし、二度目の帰宅。今度は真っ先にオーディオに手を伸ばした。最初のインスピレーションで選んだ「TODEY〜」をかけてみる。
一曲目の「マイフレンド」で当時がよみがえった。音楽というのは不思議なもので、自分の思い出にBGMのようについてくる。当時の流行や、自分の想いや、大切な人達との出来事。嬉しいことも、悲しいことも、丸ごと包み込むように。
刹那、心が揺れた。涙が溢れて、仕方なかった。想定外の出来事。それは自分の思い出に浸っていたからではない。
ただ。
彼女が、この先新しい歌を紡ぐことが無い事を確信してしまったから。
時間の合間をぬって調べていた携帯のニュース、夕刊の一面記事。読んで、事実を呑みこんでいたつもりだった。いつかはこんな日も来るのではないかと思っていた。少し早いと思ったけど。歌に励まされたよ、ありがとうって、落ち着いて、大人なりの反応をしているつもりだった。でも、ダメみたいだ。
こぼれおちた雫がひとつふたつ、ラグマットに大きな染みを残す。彼女の声が、別れを歌う。眠りにつこうと言う。どうしようもない川の流れ。悲しい。悔しい。でも。私は流されることを選んだ。せめて相方が帰ってくるまでの間はこの悲しみに浸っていよう。いっぱい泣いたら、また立ち上がれる。そんな気がするから。
坂井泉水さんのご冥福をお祈りいたします。