平素に在り

2010年10月30日(土) 幸せ

十分幸福である。

本来、「心の持ち方」そのものが「幸福」だとは思うのだが。
たとえば、「幸せ」と感じていることが「幸福である」という風に。

今年の初めは、息子の中学受験で大変な思いをした。
はっきり言って、これはお勧めではない経験だった。
小六の男の子に、あそこまでのプレッシャーと
勉強量を強いていいもんだろうか、と。
結果的には、第一志望に2次試験で奇跡的に滑り込んだ
からよかったが、下の子(長女)には絶対受験はさせない。

長女はテニスを本格的に初めて1年を経過して
突然目覚めた。夏の大会で入賞が相次いだのだ。
彼女の机の上は、カップやメダルが並んでいる。

妻は家計を支えるために働いている。
「家を建てたい」らしい。

私は、何年かぶりにテニスに再び目覚め、
実業団の試合にも、単複出場している。
体重は去年より7KG減り、ウェストもー7cm。

内面的には、仏教特に初期のものに熱中していたが
消化不良気味。
あまりにも厭世的ではないかと思われ、現代に活かすのは
アレンジが必要かと。とても僭越だけど。

人間、「何も考えずに物事に集中しているとき」が一番
幸せじゃないでしょうか。
あとは、家族のダンラントカ淡い感じの幸福感とか。

激しい刺激に身を任せ、興奮したり、陶酔したり
というのは、実は「苦」である、と若い坊さんが
本で書いていらっしゃいました。

悪いことをすると、罪悪感を感じる(心が荒む)し
いい事をすると、気分がいい。
善因善果・悪因悪果ってそういうことかもね。


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