きみが望むなら。


不安でいっぱいの心を抱いたまま、
駅からの道をゆっくり時間をかけて歩いた。

そこへは、ほんの少し前に仕事で訪れたことがある。
あのときはまさか、こうやってもう一度足を運ぶなんて、
こんなことになるなんて、想像すらしてなかったけど。

急な階段を降りて入った箱の中は、真っ暗な、夜。
いつのまにか慣れ親しんでいる創られた夜。
BGMは波の音で、なにを意味してるのかすぐにわかった。
ぐっと唇を噛んだあたしは下を向いた。

人ごみをかきわけて、奥へと進む。

波の音に大勢の声が重なって箱中でぐるぐる回ってる。
それに飲み込まれないように、必死で進んだ。

ほどなくして、もう星も見えなくなって。
浮かび上がるシルエットだけが、彼の存在を示していた。

響いた声に、ぐっとせり上がる気持ち。
ずっと聞きたかったこの声。
表情もわからないくせに、あぁもう泣き出しそうだ。

悲しいんじゃない。
ただ、逢って声がききたかったんだ。
なによりも愛しい、この声。

たとえ紡がれるのが、望んだ言葉じゃなくたって。


暗闇の中で光が射して、眩しくて目を背けた。
その閃光の中で消えてしまいそうな小さなシルエット。
やっぱり彼は笑っていないような気がしていたんだ。

静かで、冷たくて、でも優しい顔。

その目が時折あたしを捉える。
気のせいなんかじゃない。そう思いたくて。
そっと笑ってみる。
唇の端を上げて、目を細めて。

途端、破顔した彼に思わずあたしも笑ってしまう。
困ったような顔、するかと思ったのに。

つられて笑ったあたしに、彼は小さく頷いて、
そのときに、祈るように想ったんだ。

「だいすきだからね」って。



消えてかない。

消えてかない。

出逢った日も、これまでの日々も、最後の日も。



「たぶん俺、絶対忘れない」

ゆるい口調に似合わない、
低めの甘い声は、彼の最大の魅力だった。

約束していた理由のことを、彼は話さなかった。
最後の最後まで、一言も。
だけど、それで良かったんだと今、思う。

過去は、過去なんだ。
すべてはもう、流れていったんだ。
そういうことなんだと思う。
彼らしいけど。

「笑ってたいよ」って言ったはずのあたし。

「笑ってようね」って言ったはずの彼。

笑いながら、泣いて、また笑った。


「またね」

それだけ残して彼は背を向けた。

「さよなら、だね」

あたしは口の中だけで転がすように呟いたんだ。

これから、もう二度と戻れないのなら、
きみと一緒に溶けてしまいたいのと切に願ったのに。
いっそ、あたしも彼と共に溶けてしまえたらって。

暗闇の中に溶けていく後姿見つめながら願ったのに。


「もう、またね、なんて言わないよ。

 だってさよならだもん。ね。ばいばい」


精一杯の嘘に、気がついてほしかったのに。

賭けだった。捨て身の覚悟だった。

でも、終わったことだよ。
あの日、口だけで吐いた最後の嘘も、真実になった。

きみが、さよならを望むから。
2005年09月15日(木)

魔法がとけるまで。 / ちぃ。

My追加