脱線。(自責) |
2002年04月21日(日) |
今日はカナが家に来た。
彼氏と喧嘩したと言った。 家にいても気分が重くなるだけだと言った。 だから私に会いに来たのだ。
カナ曰く、今は「倦怠期」なんだそうで。 疲れている彼に主婦的扱いをされるのが、たいそう気に入らないらしい。 正直言って、彼女の方が私より圧倒的に恋愛経験が豊富なので、私がアドバイスを受けることはあってもその逆はない。 つまり今日も、たいして励ますことも出来なかった。 せいぜい愚痴を聞いてあげる程度のことだった。 「今日は泊まってく」と言った彼女だったが、結局彼から電話があり終電間際には彼の所へ行った。
何だったんだろう。 彼女は何に悩んでいるのだろう。 私はどうして、彼女の苦しみを解ってあげられないんだろう。 どうして「仲良くやりなよ」としか言えないんだろう。 彼女を駅まで送った帰り、そんなことばかり考えた。
話を変える。
私がいつも日記を読んでいる人の中に、私の気持ちと同じことを書き綴る人がいる。 もちろん、ごく稀にではあるが。 以前あったのだ。3月の下旬だったか。 「この人、今日の私と同じ気持ちを書いてる」 と。少し気味悪いくらいに思った。
今日読んだら、またそうだった。 私は、その、カナを送った駅の帰り道「日記をやめようか」と考えてもいたのだ。 私は、ここで言い訳している。 本当の名前でもない名のもとに。 こっちの、本名の私の、出来損ないな部分の言い訳をする。 言うべき人間は、いつもこっち側にいるのに。 日に10数人の人が読んでくれているのだ、と。 語りかけている人はいるのだ、と。 もっともらしい顔(いや、顔もないが)をして。 本当の日記なら、誰に読んでもらう必要もないのだ。 日記っていうのは、本来そういうものだ。 私がここで書くことは、誰かに聞いて欲しいこと。 でも、言い訳を書くなら、そんなのは不純なことだ。 とても、いやな気持ちがした。
もちろん、この日記の全てを否定する気はない。 ここのおかげで、楽しいこともある。 でも。ホラ、ね。また言い訳してるでしょ?
だからもう、やめようかと思った。 さっき、その人の日記を読んでギクリとしたんだ。 ああ、同じだ。って。
でも私は毎日、書いている。 一日だって欠かしていない。 これはある意味、枷なのだ。 いやな気持ちの日でも書くことに意味がある。 考えることに意義がある。 他愛のないことでも、書いてみたっていいじゃないか。
たぶん明日も書くと思う。 誰かの日記を読んで、また書きたくなると思う。 なにか音楽を聴けば、また書きたくなると思う。
ああ。 カナは彼と上手く仲直りしただろうか。 出来るなら、彼女と同じ悩みを持ちたい。 私も、ああいうことで悩んでいたい。 切実にそう思う。
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