新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2006年01月08日(日) 新春対談:団塊を知らない子供たちへ/上 養老孟司さん・橋本治さん

1月4日・5日の毎日新聞夕刊で、養老孟司先生と橋本治先生が対談をされた記事が掲載されています



橋本治さんは1948年生まれで正に団塊の世代、僕は1955年生まれだから、大学紛争を横目で見てた世代、彼の『窯変源氏物語』『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』は読んだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用・・・・・・・・・・・・・・
橋本 団塊の世代って仲がいいですよ。1クラス50人が当たり前だったから、派閥とかない。団塊の世代と言われてもぴんとこなくて、ベビーブーム世代と言われるのはいいんですよ。団塊の世代とひとくくりにするけど、大学闘争の時に大学生だった世代と高校生の世代はまるで違うもん。団塊1期は森進一、都はるみ。のちの「アイドル」とは違って「スター」ですよね。みんな苦労をしょっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・引用終わり・・・・・・・・・・・・

僕の世代・・・いや僕はあの日本赤軍浅間山荘事件で思想も主義もどうでもいいじゃないかと思った。

ポスト団塊世代、しらけ世代
(1952年頃〜1958年頃)「団塊の世代」の陰に隠れ、あまり目立たない世代とも言われているがはたして?「しらけるよね」というのは団塊の世代の論議好きとかにへきへきして出た言葉だと思う。

 そうなんだ、今でも団塊の世代の人が熱っぽく語る時「あー又か、現実や現実をみーや!」と言いたくなる、それがしらけ世代なのか!?
 ぼくは一九五五年生まれだ。だから六〇年代の文化はすべて少年期の思い出の中にある。ロック・ミュージック、ヒッピー、サイケデリック、アンダーグラウンド・カルチャー、SF、ベトナム戦争、文化大革命、フォークソング、革命理論、さまざまな政治的反抗……等々。有人人工衛星の打ち上げや六〇年安保は幼児期のかすかな記憶として残っているし、東京オリンピックやアポロの月面着陸となるとかなり鮮明に覚えている。また、アンダーグラウンド・シアターや映画にもよく通ったし、コンサートや集会にも出かけていた。要するにそれは、メディアや交通手段の発達と共にかつての距離感や遠近法を喪失し「小さくなった」世界の中で、様々な知的、そして政治的な力が、ブラウン運動をする微粒子のように激しくぶつかり合った時代であり、端的に言って「近代」と「反近代」とが、坩堝の中で高速に撹拌されたような時代だったのだ。すべてがこの坩堝の中で粉々となり、その砕片が残った。
団塊の世代に続くのが、しらけ世代、宇宙人世代である。その子が今20台前半から10台後半。問題の少年犯罪、幼児虐待世代である。

内田先生のブログにもこのことが書かれています。





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