??? テレビ朝日で「ビートたけしの、こんなはずでは」に出演しました、江戸時代に大ヒットした鶴屋南北作【東海道四谷怪談】の提灯抜けと仏壇返し(・・・とは違うよ、そこの君) これが元になりお化け屋敷が出来て、現在のディズニーランドなどのアミューズメントに繋がったというお話。 やはりたけし監督(巴里のソルボンヌ学生に人気がある)は凄い、少しの打ち合わせで、本番突然物事の本質を突いてくる、出演してよかったよかった。
放送日は・・・調べてね。
ところでこの「東海道四谷怪談」が忠臣蔵の出し物だったって知ってた? 東京紅團さんのページより http://www.tokyo-kurenaidan.com/kaidan1.htm
東海道四谷怪談」は文政8年(1825)7月江戸中村座での初演。鶴屋南北71歳の作品です。初演時にはこの作品は「仮名手本忠臣蔵」と交互に上演し、二日掛かりで完了する興行形式を取りました。
第1日:「忠臣蔵」大序から六段目までを上演し、次に二番目狂言として「四谷怪談」序幕から三幕目の「隠亡堀」までを上演。
第2日:まず「隠亡堀」を上演し、「忠臣蔵」七段目から十段目まで、次に「四谷怪談」四幕目から大詰めまで、最後に「忠臣蔵」の十一段目(討ち入り)を上演。
「隠亡堀」が重複して演じられているのが興味あるところです。また「四谷怪談」大詰めで伊右衛門が討たれる場面で雪が降っており・与茂七が火事装束で現れるのは、この場面が「忠臣蔵」のまさに討ち入り当日であるということ、つまり与茂七は伊右衛門を討った後に討ち入り現場(高師直館)へ駆けつけるのだ、ということを示しています。
こうした上演形式をとったのは初演時だけのことで、再演以降は「四谷怪談」は単独で上演されてきました。怪談芝居としての「四谷怪談」の要素の方が主体になってしまって、仕掛け物・ケレン物としての工夫がされてきました。だから「四谷怪談」が「忠臣蔵」の世界であることは予備知識として持ってはいても、討ち入り物(「忠臣蔵」の世界)としての「四谷怪談」の意識はいまでは薄れてしまっている、と思います。
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