闘病記2のつづきだけど、昨年入院手術したという事には未だ辿りついていないんですねー、でもあの痛い痛い思いが去ってしばらくして石がオ○ン○ンから飛び出すのを待ってていたんですが、忘れるんですね−、困ったもんだ! そしてワールドカップ日韓共同開催が確か2002年だったからその前年の2001年11月に韓国のソウルで記念演奏会が日本音楽集団と韓国国立国樂団で行われました。練習で忙しい日々に、なんとなく脇腹に鈍痛があるのでもしやと思って、O総合病院の泌尿器科に検査にいったのです。
レントゲンも造影剤を点滴しながらというけっこうしんどい撮影でした。 あったあった石が、それで医者(まー威勢の良い先生だった)に1週間後に文化庁の仕事で韓国に行くんですと言ったら「んーしかたない、国際交流に貢献しよう」と言って、体外衝撃波による結石破砕術を優先的に一日入院でやってもらう事になりました、これって本当にコンピューターゲームみたいで、あの湾岸戦争の時、戦闘機から発射されたミサイルがレーダーによって、対象が段々絞られて爆破するというのをテレビで見ましたよね、あれと全く同じです。

体外破砕装置(シーメンス社製) 尿管の石をレントゲンで見ながら、コンピューターゲームさながら毎分何百発とかいって撃つのです、麻酔をしているのですが、機関銃よりはゆっくりめの射撃はけっこう衝撃を感じます。 そして腎臓から尿が普通に流れていたので、完全に粉砕されたかを確認できないまま(それは急いでいたから)退院したのです。 これがよくなかった!後々祟るのだ! そして韓国で飲めや食えの宴会もし、その後検査に病院には行かなかったのが、昨年の入院手術となったのだと、思っています。 たかが石されど石でっせ!
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