僕は関西で病気治療をしていたとき、芦屋の松林を散歩しました、その日は天気がよく気持ちの良い日でした、阪神淡路大震災のため古くからあったお邸はもうなくなっていました、そして海の方へ歩いていたら、芦屋美術博物館に辿り着きました。 そうしたら「夭折の音楽家、貴志康一さんの記念展を開催していました。
昭和12年、2.26事件の翌年に28歳の若さで亡くなられてます。
僕は驚きました、僕が音楽の勉強を始めたのが阪神間で、よく芦屋や宝塚、大阪にレッスンに通ったものです、しかしこの日まで貴志さんのことは全く知りませんでした。
ヴァイオリニスト、作曲家、指揮者、画家、映画監督までやった方です、その多才さが命を縮めたかどうかは解りませんが、美術館で聞いた交響曲「仏陀」のスコアーは、もしリムスキーコルサコフが日本を題材にしていたらこういう曲になったかなーという曲です。
僕が教えているスイスジュネーブ国立音楽院への留学、ヴェルリンへの二度の留学、自作をヴェルリンフィルで指揮をしてのSPレコードの製作等、戦前、このような天才的音楽家が阪神間に存在したのかと、驚いています。
貴志康一さんのサイト http://www.konan.ed.jp/~art/kishi/html/home.html
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