ブッシュ大統領はイラクの戦後占領政策の参考に日本のことを考えているらしい、イラクのフセイン政権の生みの親はアメリカであり、あの冷戦時代のソ連との軋轢、イランの宗教革命からの影響から守る為とオイル戦略のため主権在民の国にしたかったのだ、しかしアメリカは古代メソポタニアからバビロニアのイスラム勢力下の伝統文化の研究が足りなかったのだと思う。
赤色は勇気を、白色は寛容を、緑色はイスラム教を、黒色はイスラム 教の伝統と栄光を象徴する。星は近隣国との友好を表わし、アラビア 文字の意味はコーランの一節で「アラーの神は偉大なり」。
イラクの国歌の意味については不明なのだが、国営バクダートラジオからは勇ましい雰囲気の国歌が聞こえる。
♪イラク国歌 イラクは王国だった、その時国歌があったのか不明だが、前政権を滅ぼしたが故に古代メソポタニア、バビロニアの伝統、イスラム音楽の影響は全くこの国歌からは感じられない、むしろ欧米諸国の真似のような感じがする。
では第二次世界対戦の三国軍事同盟国は戦前から敗戦後へと、どのように変化したのだろうか?
ドイツ国旗
ベートーベンの時代、フランス革命、ナポレオンの影響でこのような国旗の時代もあった。1819年9月20日、連邦は「カールスバートの決議」を採択し、ブルシェンシャフトの弾圧を図る事となった。当然、三色旗も禁止されて行った。 1848年2月22日、フランスで2月革命が起こり、立憲王制に代えて第2共和制が成立した。この年に起こったドイツ革命は、このフランス革命のあおりを食って起こった物だが、フランスのように統一国家の下で起こった革命とは違って非常に複雑な内容を持っていた。
泣く子も黙るナチス鉤十字 ♪ドイツ国歌
旋律は、ハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」の第2楽章です。 1796年にオーストリア皇帝フランツ(神聖ローマ帝国最後の皇帝フランツ2世かつオーストリアの初代皇帝フランツ1世)に捧げたもので、オーストリアが共和国になるまで国歌として使われました。 歌詞は、Gott erhalte Franz den Kaiser(神よ、皇帝フランツを守りたまえ)ですので、この曲がドイツ国歌として定着したというのは少々奇妙な感じがしないでもありません。 大戦時の反省から一番は歌われる事が禁止されているので、 国歌斉唱の際には三番の歌詞が歌われるようになっています。 もちろん、サッカーの試合前の国歌演奏の際もです。 二番の歌詞でもいいのではないかという議論もあるようですが。 ドイツのイメージとしては三番の方がしっくりくるのでしょうか。 1 ドイツ、すべてに上回るドイツ 全世界に冠たる国であれ 国家の保護のために力を合わせ マースからメーメル、エッチュからベルトまで すべてに冠するドイツであれ 2 ドイツの女性、忠誠、ワイン、詩歌は その古き良き評判で全世界に維持される 我々の優秀な行いは命の限り我らを陶酔させる ドイツ人女性、ドイツの信頼、 ドイツワインとドイツの歌よ 3 団結、正義、そして自由を 我らが祖国ドイツのために その為に我らは心と手を通わせ全力を尽くす 団結、正義、自由は成功の礎 幸運の輝きの中で栄え、祖国の為に栄えよ 2番の歌詞は現代でも革新的な詞に思えますが、きっとイスラエルがゲルマン民族単一優秀性だと言って、アメリカを動かして潰すのでしょう。
♪イタリア国歌 イタリアの国歌は "Fratelli d'Italia" またの名を "Inno di Mameli" と呼ばれ1847年に作られた。 そして1946年共和国制憲議会において「マメーリの賛歌」 を従来の国王国歌だった「国王行進曲」から国歌として使用することが決まり、 現在までイタリア国歌として演奏されています。 イタリアの兄弟よ、イタリアは目覚めた スキピオの兜を頭にいただき 勝利の女神は何処にあり? うるわしき髪を捧げろ我イタリア女神は主の創ったローマの僕。 R 友よいざ隊を組み、死に臨まん イタリアに召されこの身をみをささげん (R繰り返し) 戦前は王家の紋章があった。
戦後
もし日本の国歌がアメリカの占領政策によりマーチのような西洋音楽に変えられていたら、それこそ国としてのアイデンティテーを失っていたと思う、アメリカでは我々日本人は中国人なのか韓国人なのか判らない、いくらアメリカナイズされても日本人は日本人なのだ。 自由な国として国歌を歌うことを自己の責任において拒否するのは自由だと思う、ただし国旗を踏みつけたり、国歌斉唱の時騒いだりするのは論外だと思う。 明治維新を経て国歌を制定した人達は国際感覚においては抜群に優れていたという事は作家の司馬遼太郎さんも言っているし僕もそう思う、あの昭和の政治家や陸軍軍人がマンネリ化して国を自国を滅ぼしたのだと思う。 江戸時代の世界情勢、江戸末期の時代背景をよく考えて、何故明治維新があったのか、あの時代の日本人が丁髷を切ったというのは、凄い国際感覚においての取捨選択だったと思う。 そのへんの国際的時代背景を考えないと、中国や韓国、北朝鮮のプロパガンダにやられてしまう、真の国際人というのは、堂々とこのことを言える人のことだ。
Shinchanは韓国の友人P君と付き合い出してから2年ぐらいで、日清、日露戦争、あの203高地の奪回の話をした、閔妃暗殺、安重根(アンジュングン)ハルビン駅頭で、初代朝鮮統監だった伊藤博文を暗殺した韓国の英雄の話、そして彼を山口県の萩の松下村塾に連れていった、彼は深く考えてしばらくして、これからはもっと仲良く何でも言える友達になろうと言ってくれた、嬉しかった。
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