2003年03月11日(火) |
「太鼓叩きを叩け!」フランキー堺さんの思い出 |
先日やった筑波大学盲学校の卒業演奏会に来ていただいた、はつみさんよりこのような書きこみをいただきました。 「音楽的なことは音痴なので解りませんが・・・ 吉澤さん(盲学校の先生)にもお話したのですが、何かエネルギーの波が押し寄せてきた。そんな感じでした。」ありがとうございます、やはり誉められると嬉しいです・・・木にも登るか? 打楽器は世界最古で一番単純な造りをしています、その辺の廃物やガラクタを並べてもハートのある打楽器奏者はすぐ音楽にしてしまいます、Shinchanがニューヨークに行った時、かなり危険な地域だったのですが、ご機嫌なリズムが聞こえてきて知らないうちに、そこに引き寄せられて行ってしまいました。 黒人の子供達がリーダーだろう青年の叩くカンカンに合わせ、ドラム缶や木で出来た箱を叩いてサルサを演奏してました、それは今まで聞いたどのレコードのキューバ音楽よりもご機嫌でした、本当に一つとして本物の楽器は使っていませんでした。
今から随分前の事ですが、某TV曲の新春隠し芸大会の収録の為に11月(実際はこの時期に明けまして〜なんてやっている)だったか打ち合わせで僕は〜トリオの某君に和太鼓を教え、フラさん(フランキー堺)が某マッチにドラムを教えてセッションするという企画でしたもう一人の某はギターだったかな? そして何回か目にフラさんが怒ってたのです「君ね、ドラムとか太鼓はパッションがいるのだよ、元はアフリカから連れてこられた奴隷達がガラクタ集めて唄って叩いたんだよ、ハートが大事なんだ!格好じゃない!」 そしてみずからご機嫌なJazzビートを叩きだして「君は他のメンバーの音を全然聞いていない、ドラマーはニコっと笑ってどんな事があっても底辺から上の音を支えるのだよ、わかる?」 「そして仲間が喜んでくれて、お客さんが喜んでくれて初めて自分も嬉しくなるのだよ」その時のマッチ君の目は・・・ッセーナ―・・・という目付きでした。 僕は心の中で・・・はい解りました、胆に命じて決して忘れません・・・ありがとうございました・・・と言いました。 その後某マッチ君はF1レーサーに弟子入りして顔を打たれながら成長したそうです、だから太鼓叩きを叩かなくてはいけないのです、でも打楽器奏者は自分に厳しく他人には優しい人が多いので、弟子や仲間に手を上げることはありません。 フラさんあなたは素晴らしいアーティストであり俳優でした あの映画「写楽」「私は貝になりたい」は名作です。そしてフランキー堺とシティ・スリッカーズ、後にハナ肇とクレージー・キャッツを結成することになる、植木等、谷啓、桜井センリらがこのバンドにいたのですね。あなたは名ドラマーであると共に、人を喜ばせる名人でしたね・・・今でも声が聞こえます(合掌)
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