新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2003年03月04日(火) 想像を絶する演奏構築と準備

クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ&指揮)ポーランド祝祭管弦楽団
 
たかがCD、ショパンン二十歳の作曲、オーケストレーションが幼稚で単純・・・全て覆された・・・これは正に本物、本当にショック・・・。



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これはおどろくべき名演奏だ。今までに聴いたいかなる名ピアニスト、ロンもフランソワも最新盤のアルゲリッチさえ、このツィマーマン盤に比べれば太陽の前の星のように光を失うであろう。何よりすばらしいのはオーケストラ・パートである。
ツィマーマンは自ら指揮を兼ねるため、新しいオケを組織、普通のコンチェルト演奏では考えられない長時間のリハーサルを敢行、すみずみまで自分の意志を通した。甘美なポルタメントや表情たっぷりなルバートの多用はメンゲルベルクも顔負けの濃厚さだが、しかも新鮮さを失わず、楽器の変更から新たに八小節にもおよぶ楽節を挿入するなど、大げさにいえば歴史上の大事件といえよう。もちろんソロも最高! 過去のどの演奏よりも見事なテクニックと鮮やかな音色を持ち、強弱の対比、ニュアンスの無限の変化、悲しみと切なさと艶やかさとしゃれっ気の入り混じった雄弁さが比較を絶する。 [宇野功芳]
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 このオーケストラの練習はギネスブックものだ!
・・・最初のリハーサルはな・なんと朝の8時から明け方の5時まで21時間続けたのです・・・とツィマーマンはインタビューで言ってます。





↑メッセージがあるよ、クリック

 なお1965年には中村紘子さんが4位に入っている。1970年は内田光子さんが2位ですね。

ツィマーマンはデビューしてから何年か後に1年以上にわたる休息をとり、ロンドンに住んでピアノ調律・調整および製造技術について学び、音楽のみでなくすべての面からピアノを理解しようとつとめました。実はこの「すべての面から」というのがどうも彼の基本的な考え方のようで、録音についても機材やホールの音響について徹底的に調べ、自分の納得のいく場所や方法であることを常に心がけていたようです。したがってそれが満足できなかったとき、彼は妥協せずエンジニアやプロデューサーと話し合い、それでもだめなときは録音のキャンセルまでしたことがあったようです。
 
 これにいてのエピソードがあります。映像の作品を収録しようとしたときです。場所はウィーンのムジークフェラインザールで曲がなんであったかは忘れましたが、ともかくリサイタル・プログラム。収録の前日彼はホールでリハーサルを行い、響きをチェック、ピアノをあちこち動かし、音響的にもっとも曲にあう場所を探しました。もっともその場所はかなりセンターからはずれた場所ではあったそうです。
 さて翌日にホールにきてみると、なんとピアノはステージのセンターに引き出され、おまけにその周りには花まで飾られていました。びっくりしたピアノを元に戻すように要求しましたが、映像プロデューサーはそれでは絵にならないと拒否、これに対して彼はこの場所の音響では弾けないと演奏拒否、ついに収録キャンセルになってしまいました。

 これは日本の音楽界ではクラッシック、邦楽界とも絶対に不可能な事ですね、彼は演奏する国にピアノを運び、そのホール空間に出来るだけ綺麗に共鳴するように自ら調律するそうです。んー、見習えと言われてもなー、いや自らを律するしかないか・・・。

1999年のショパンコンチェルト第一番二番をひっさげての世界ツアーの後援にはフランス大統領ジャック・シラク ポーランド大統領、ベルギーの国王と王妃、ドイツの元大統領ヴァイツゼッカー氏なども含まれている、ヨーロッパの芸術に対する懐深い事、尊敬に値しますね、聞いてる?ブッシュさん・・・。







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