新知庵亭日乗
荷風翁に倣い日々の想いを正直に・・・

2003年02月20日(木) ナチズム下のユダヤ人音楽家

エリック・リーヴィー「第三帝国の音楽」を読みました。(望月幸男監訳ほか、名古屋大学出版会)
 ナチズムによるユダヤ人音楽家排斥運動は歴史的に徹底的に否定されています、しかし強制収容所に消えた数多くのユダヤ人の中にはその持てる才能を発揮して戦後まで生き延びた人がいます、それが映画「戦場のピアニスト」の実在音楽家W・シュピルマン(1911〜2000)


1939年、ナチスドイツがポーランドに侵攻した時、シュピルマンはワルシャワの放
送局で演奏するピアニストだった。ワルシャワ陥落後、ユダヤ人であるが故にゲッ
トー(ユダヤ人居住区)に移され、飢えや無差別殺人に脅える日々を強いられる。
やがて何十万人ものユダヤ人の移送が始まるが、家族の中でたった一人収容所行き
を免れたシュピルマンは、決死の思いでゲットーを脱出する・・・。
「戦場のピアニスト」で最高賞のパルムドールに輝いたロマン・ポランスキー監督(AP)ポランスキーは幼い頃をクラクフのゲットーで過ごし、母を収容所で亡くした経験を持つ。これまで彼は、あまりに心に深い傷を刻んだあの体験と向かい合う準備ができていないと感じ、『シンドラーのリスト』の監督をオファーされた時でさえ断っていた。そんな彼が遂に自らの原点に立ち帰った揮身の作品。





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「無伴奏組曲」
アラン・ジョミ著 松本百合子訳
http://www.artisthouse.co.jp/works/books/info/books26.html
・・永遠に続く「生」の繰り返しの「哀しさ」(ヴァイオリン奏者 二村英仁) 
カールは第2次世界大戦中、ナチス・ドイツによるホロコーストにより、チェコスロバキアのテレジンのユダヤ強制収容所に収容されていた。テレジンの強制収容所では、ヨーロッパ各地から集められたユダヤ人音楽家達が戦時下でも演奏会を行なっていたという。そこでカールは自分の妻となるカミーラに出会う。二人の交際が始まり、密かに逢瀬を重ねるうち、カミーラが妊娠し、それを看守に見つけられ、彼女はあの悪名高きアウシュビッツに送られてしまった。その後、カールとカミーラは生き別れとなってしまう。それからすでに60年近く経とうとしているが、カールはまだカミーラを探し続けており、つい先日、カミーラに生き写しの女性にモントレーであった、というのだ。

ホロコーストの中でカールとカミーラのような人々は少なくないだろう。一体、どれだけのカールとカミーラがホロコーストで引き裂かれてしまったのだろう。

バイロイト祝祭劇場
 ワーグナー家の人々とナチスの結びつきにより、バイロイト音楽祭は一時隆盛を誇ります、しかしユダヤ人排斥運動は音楽祭のオペラ歌手、オーケストラ楽団員にも容赦はありませんでした。
 何人かの音楽家が収容所へと消えました。

イデオロギーの眼鏡で音楽や芸術を見る過ちは二度と犯してはならない
イスラエルでワーグナーの楽劇を演奏しようとした、指揮者ダニエル・バレンボイム氏
2001年7月7日、その事件は起こった。その日の夜、世界的な指揮者、ダニエル・バレンボイムによるベルリン州立歌劇場管弦楽団の演奏会がエルサレムで行われた。
その公演のプログラム本編終了後、バレンボイムは聴衆に向けてこう呼びかけた。
「これからアンコールとしてワーグナーの楽曲を演奏したい。それについて、皆さんと民主的に決めたいと思う」会場は騒然とした。しばらくした後、拍手でそれに応じる賛成派とブーイングをする反対派とが入り乱れることになった。
当初、この日のプログラムの中にワーグナーの楽劇『ワルキューレ』が入っていたのだが、国会議員らの反発によって、別の作曲家の楽曲に変更されていた。
「ワーグナーは主催者が中止を決めたはずだ」と叫ぶ反対派の声。
それに対し、バレンボイムは「ここからは私個人の責任で演奏したい。意見のある人はここで話し合おう」と提案した。
約30分間、話し合いは行われた。指揮台に詰め寄る反対派、そしてバレンボイムの提案に賛同する賛成派。ここがおおよそコンサートホールだとは思えない、むしろ紛糾する国会のようにすら見える状態が続くことになった。
「楽譜の準備は出来ています。聴きたい人だけ残ってください」
結果、ワーグナーの楽曲は演奏されることになった。反対派の人たちは自分たちの主張が通らなかったことに憤りを覚え、コンサートホールを後にした。そして、会場ではバレンボイムのタクトにより、ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』より「前奏曲と愛の死」が演奏された。



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