広尾で飲んだ暮れてました、周りはフランス人ばかし「ここでは日本語しゃぺれ!」て言ってやりました。話題はそー戦場のピアニスト、シンドラのリスト、泣かせますよねアウシュビッツの土を靴で少し掘ると骨が出てきます。皆さんアウシュビッツに行かれましたか?
そのアウシュビッツ収容所跡地を訪れたポーランドの少年グレツキは後年作曲家となり悲歌のシンフォニーを作曲する。九二年の発売を機に、イギリスのFM放送で取り上げられたのがきっかけで静かなベストセラーになり、やがて米国でも大ブームを起こした。全米クラシックではもちろん二年越しでナンバーワン継続中だが、ポップスも含めたレコード売上記録にも顔を出す空前のヒットになった。 FMがに流れた時ヨーロッパ中の高速道路の路肩に車が止まり聞き入ってしまったという。
《悲歌のシンフォニー》
わたしの愛しい息子はどこへ行ってしまったの? きっと蜂起のときに 悪い敵に殺されたのでしょう
人でなしども 後生だから教えて どうしてわたしの 息子を殺したの
もう決してわたしは 息子に助けてもらうことはできない たとえどんなに涙を流して この老いた目を泣きつぶしても
たとえわたしの苦い涙から もう一つのオドラ川ができたとしても それでもわたしの息子は 生き返りはしない。
息子はどこかで墓に眠っている でもわたしには、どこだかわからない いたるところで 人に聞いてまわっても
かわいそうな息子は、どこかの穴の中で 横たわっているのかもしれない 暖炉のわきの自分の寝床で 寝ることもできたはずなのに
神の小鳥たち、どうか息子のために さえずってあげて 母親が息子を 見つけられないでいるのだから
神の花よ、あたり一面に 咲いてください せめて息子が楽しく 眠れるように・・・
1961年エルサレムにおいて「アイヒマン裁判」開廷。翌年、処刑された。
でも・・・しかし・・・僕達、現代人は手段こそ違っても何時でも、アイヒマンになるのではないかと思います。 アイヒマンは第2次世界大戦時にユダヤ人を虐殺したナチスのユダヤ問題総責任者です。彼の仕事は効率がよく約600万人のユダヤ人が抹殺されたとしています。 アイヒマンはドイツ降伏後に姿を消します。もちろんつかまれば戦犯になる事が分かっていたからです。ユダヤ人を虐殺した罪で・・・。 ブダペスト駐在スウェーデン公使のラウル・ウォーレンバーグはユダヤ人を救出するためビザをばら撒き、時には処刑寸前のユダヤ人をナチスからお金で見逃してもらうというようなことまで行いました。 あるパーティーでウォーレンバーグは敵の大ボス、アイヒマンと対決します。ユダヤ人から手を引けと言うアイヒマンに対し、ウォーレンバーグは毅然と拒否します。 アイヒマンは『あなたは人間じゃない悪魔だ。』と罵ったウォーレンバーグに『私は命令に忠実な、いちドイツ人だよ。少し勤勉すぎる嫌いはあるがね・・・。』と返します。そして結局絞首刑になりました。 どうでしょうか?いくら反戦を言っても、究極的には報復を繰り返す業から、少しも脱する事ができません。 イラク問題の他にもコンゴ大虐殺、コートジボワール虐殺人食事件等、報道しない日本の能天気報道機関、日本が世界国境なき医師団による対象国になっている事を知らない無知(ホームレスの救済必要重点国ですって!) 今日フランス人に言われた 「核を持たない国はイラク問題の発言は生意気だ、実行力もないくせに」 でShinchanは「てめーらは確か、ドイツにあっけなくケツをむけたんだよな」 で 「でも、フランスは連合国として戦後君臨したんだ」 Shinchanは 「だからイラク攻撃に反対やと、独自路線言いながら空母を派遣してんねな」 「じゃー日本は出来るのか?アメリカの作った舞台にも出ないくせに」 Shinchan 「解った、今度はイタ抜きでフランスとドイツと日本が連合してアメ公をやっつければええのやな」 「ウイ、ダコー」 酔っ払いのたわごとでした。でもかなり現時点での本音です。だってフランス大使館関係者ですから、今度ドツイたんねん。
では世界的超有名ジョークを紹介します。 判決が決まった後、裁判長はアイヒマンに、最後に何か望むことはないかと促した。アイヒマンは少し考え、「ユダヤ教に改宗したい」と言った。
これには裁判長も驚いた。ユダヤ教に改宗するとは、ユダヤ人になることと同義だからだ。困惑した裁判長はアイヒマンにその理由を問うた。アイヒマンはニヤリと笑って答えた。
「これでまた一人ユダヤ人が殺されることになりますから」
ナチスは有能なユダヤ人音楽家をガス室に多数送りました、ショパンのノックターン、マズルカの伴奏と共に・・・。合掌・・・。
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