2002年12月10日(火) |
間奏曲キング牧師とケネディー大統領 |
キング牧師の"We shall overcome"そして友よ、熱かった時代ですね。 I have a dream that my four little children will one day live in a nation 私には夢がある。いつの日か私の幼い四人の子どもたちが、彼らの肌の色によって評価される
where they will not judged by the color of there skin but the content of のではなく 彼らの人格の深さによって 評価される国に住めるようになることであろう。 "Free at last! Free at last! Thank God Almighty, we are free at last!" 「自由だ!自由だ! 全能の神に感謝すべきかな。 私たちは ついに自由になった!」 (1963,8,28,『ワシントン大行進』の際のスピーチ)
では生の声を聞いてみよう!
をクリック! 歌うように話すスピーチはゴスペル(黒人霊歌)の原点を感じさせます。キング牧師はベトナム戦争のことにも言及しています、それはケネディー大統領が暗殺されて次ぎのジョンソン大統領になり、北爆の泥沼に入りました。多くの若い米兵が戦死しました。キング牧師は自らの命もそう長くない事も察知していた感があります、そのベトナム戦争に対するスピーチはまるでケネディー大統領の言葉を代弁しているようです。
最後のスピーチ [もし私の最期の日に立ち会うことがあったら、長々と弔辞を述べないで下さい。私がノーベル平和賞を受賞したことなど言わないで下さい。そんなことは重要なことではないのです。何百もの賞を受けたことなど言わないようにお願いします。どこの学校に行ったかなど、どうでもいいことです。 最期の日には、私マーティン・ルーサー・キングJr.は、人のために一生を捧げた、と言ってもらいたいのです。戦争の問題では、つねに正しい立場に立ったと言ってもらいたいのです。すべての人間を愛し、仕えたと言ってもらいたいのです。]
ケネディ自身は議会に提出中であった公民権法が実現する前に暗殺されてしまいますが、キング牧師の訴えはケネディの訴えでもあったような気がします。
ケネディ大統領のことば─あの運命の初夏、ワシントン、アメリカン・ユニバーシティ卒業式でのスピーチWhat kind of a peace do I mean and what kind of peace do we seek? Not a "Pax Americana," enforced on the world by American weapons of war. We must reexamine our own attitudes towards the Soviet Union. Our most basic common link is that we all inhabit this small planet. We all breathe the same air. We all cherish our children's futures. And we are all mortal. (From June 10, 1963 speech to the graduating class of American University.) 私のいう平和とはどんなものか、また我々はどのような平和を求めるのか。アメリカの武器によって「アメリカの支配による平和」を強制しても平和は来ない。ソ連への我々の態度も再検討すべきだ。我々を結びつける基本は、我々全てがこの小さな惑星に住んでいることである。我々はみな同じ空気を吸っている。我々は子供たちの将来を案じている。そして我々は皆、死すべき運命にある。
Shinchanはよく覚えています、買ってまもないテレビ(もちろん白黒)の前でニュースが流れお父さんが「なんちゅうことする国ゃ!」と言いお母さんは「あんな立派な人を・・・」って言って泣いていました。鮮明に覚えています。 をクリック!
もしケネディーやキング牧師が生きていたら、現在のアメリカをどのように導いたのでしょうか?歴史にIFはないのですが、来年は大変な世界的動乱が起こるような気がします・・・。
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