Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2005年07月27日(水) 休憩

明日はPC自体から離れることにする。と決めたのはいいが、それではこの日記が書けないことに気付いた。まあ、毎日更新と言っても、PC自体に触れないことにしたのなら仕方あるまい。自己満足のためにやっているのだから、紙のノートにでも書いておけばいいだろう。

また、ふと思ったことを列挙しておく。思い出そうとすれば、思い出せるものなのかも知れない。

東京駅を歩いているときに常々思うことがある。にもかかわらず、日記を書くときには思い出せていなかったことなのだが。それは、東京駅や新宿駅だからと言って、急ぐ人などそれほどいないということだ。よく都会の人は急いで歩くと言うが、控えめに見ても急いでいるようには感じない。友達同士しゃべりながらダラダラ歩くのと比べれば速いが、それでもせいぜい時速4キロと言ったところだろう。

自分の目で見てみると、このようなステレオタイプがあてにならないと思うことは多い。都会の人間は忙しいからあくせくする、ということで、駅で見かける人は急いで歩いているという思いこみが生まれたのだろうか。そもそも、都会の駅で見かける人は急いでいる、なんてどこで聞いたのだろう。一般的なことなのだろうか。思い出せない。

帰りの自転車でも、ちょっと思いついたことがあった。それは、電車で座っていたときよりも立っていたときの方が、自転車の調子がいいのではないかということだ。立っていたときの方がそれだけ足の筋肉を使っていたわけで、その分足の筋肉に力が入りやすい状態なのではないだろうか。これは正しいのではないかとかなり確信を持ってみて、両者を比べてみた。

その結果は、よく分からなかった。そもそも電車で座れたときというのは、気分自体がかなり落ち着いているので、自転車でスピードを出そうという気分にならない。急ごうと思えば急げるのかも知れないが、落ち着いた気分のときにわざわざ焦ってスピードを出すなんて、もったいないと思ってしまうのだ。まあ、自転車に乗ることはこれからも多いし、気が向いたときに考えてみればいいだろう。分からなくたって問題はないのだ。

話は変わって、また帰路で思いついたことがある。こうやっていろいろ挙げてみると、帰りの電車の中でゲームなんてするものではないと思う。行きと帰りと、合わせて4時間近くの時間があるのだから、じっくり考え事をしたいと思う。

それはともかく、現代はネットゲームにおける問題が叫ばれるようになって久しい。その中には偏見の混じったものもあるが、妥当な意見も多いことだろう。しかし、プレイヤーでなければ分からない視点というのがあるはずだ。その一つとして、ゲームの完成度を挙げてみたいと思う。

一概に言えないが、一般には、完成度の高いゲームの方がユーザの評価は高いだろう。バグが多数混じっていても、「だが、それがいい」と言う人もいることはいる。しかし、多数派ではないのではないだろうか。そのような視点でネットゲームを見た場合、ある程度の優劣はあるものの、どれも管理体制の点で見た場合に完成度がかなり低い。ユーザが多くの不満を抱えているにもかかわらず、対処されていない問題がかなり多いのだ。これは、ゲーム自体に問題に対処する機構が備わっていないため、人海戦術に頼らざるを得ないゲーム設計に起因している。ネットゲームと言ってもビジネスなので、そこまで人を投入できないのだろう。

そこで思う。もし、この問題点が解決されたらネットゲームはどうなるのだろうかと。現在、管理体制に対しては非常に多くの人が不満を持っており、それが原因で、かなりゲームにのめり込んでいた人も次々とやめていっている。そのような問題点がなくなれば、ネットゲームにはまり現実が疎かになる人は増えていくのではないだろうか。逆に、ネットゲームのサービスがその程度の低レベルなものだからこそ、問題が現状程度で収まっているのかも知れない。

ただし、ネットゲームにはまる問題を考える場合、それを本人のみの責任に帰結するのは乱暴すぎるように感じる。ネットゲームは、長期間プレイできるように設計されてはいる。しかし、同じゲームをずっと続ければ、人間なのだから誰しも飽きてくるだろう。はっきり言って、ネットゲームにそれほどの魅力はないはずだ。にもかかわらず、ある程度の人がネットゲームにはまる。それは、ネットゲームが魅力的と言うよりも、彼らを取り巻く現実社会の魅力があまりに乏しいからではないだろうか。ネットゲームの問題を指摘するよりも、社会をより魅力的にする方策を探る方が建設的ではないだろうか。


 < 過去  目次  未来 >


Seak [MAIL]

My追加