Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2004年07月07日(水) 危機感

どうもここのところ集中できない日が続いている。記憶力も相変わらず不安だし、僕は一体どうなっているのか。

今日は講義に出席して、久しぶりに友達とまともな会話をした。何週間ぶりだろう。先週と先々週は欠席したから、3週間ぶりだ。人と会話をしないと、社会から取り残されたような気分になってくる。しかし、それよりも恐ろしいのは、徐々に孤独に慣れて、今の状況に危機感を抱かなくなる自分だ。人との係わり合いを求めなくなったら、社会の中では生きていけない。常識からも離れるし、社会の構成員であれば当然受け取れるはずの利益も得られなくなる。理屈では分かる。しかし、徐々に感覚がついてこなくなったのだ。今の状況は危ないと思っている自分がいるが、もう片方でどうでもいいじゃないかと思っている自分がいるのだ。人に自分の意志を伝えようという感覚が薄らいで、ボソボソしゃべるようになったという実感がある。ごく普通に振る舞っているつもりなのにおどおどしていると言われたこともある。明らかにおかしくなっているのに、それに対して危機感を感じないのだ。

自分がすっかり変わったしまったことを痛烈に感じる。ものを考える、ということをしなくなった。そして、ものを考えるということがおっくうになってしまった。小説でも新聞でもマンガでも何でも、何かを見れば、昔はいろいろと考えた。それが今は、ただぼんやりと見過ごすのみになっている。なのに、集中してしまって時間を忘れてしまう。マンガならまだしも、新聞程度でほかのことを忘れてしまうのは問題だと思う。なんだろう。頭に靄がかかった感じだ。自転車に乗って、駅へ行き帰りしているときには感じないのに。目が覚めていないのだろうか。何か問題があるのだろうか。単に集中力がないのだろうか。何らかの病気なのだろうか。正体は不明だが、とにかく異常だ。何かが違っている。

自分が置かれている状況、周囲の状況を見なくなった。情報はそれなりに集めているが、その情報をただ捨ててしまっている。捨てられてしまえば、それは情報ではなくただのデータだ。データが情報になり、情報が知識になるとはうちの教授の言葉だが、それがまったくできていない。ある程度情報は得ている気がするが、そこから知識にはなっていない。それだけの余裕がないのだ。目の前の問題に追われて、情報を整理して知識にするだけの心の余裕がないのだ。

現状を考えると、余裕がなくなってしまうほどのものではない。なんせ、1週間のほとんどを、やる気がせずにサボっているのだ。それでも何とかなっているのだから、普通にサボらずやっていれば、余裕はあるはずなのだ。にも関わらず、それができない。意思が弱いのかもしれないが、どうやれば強い意思が持てるのかも分からない。

まあ、よく聞く典型的な大学院生の失敗例という印象はある…。研究室は慎重に選ぶべきなのだろう。今さらどうしようもないとは思うが。不本意な環境でもどうにかする、というのもいい経験だろう。今は、そう思うしかない。ただ、不本意ではあるが、きついわけではないというのがまた問題だ。きついわけではないから、これから先の人生で「大学院生の頃と比べればこの程度…」なんて思えるわけではないのだ。


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