Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2004年06月18日(金) 長崎小学生殺害事件

この事件に関して、詳しいことは何も知らないし、調べるつもりもない。そういう人間が受けた印象について、書こうかと思う。

この事件は、背景にインターネットが絡んでいることが大きな問題とされた。と言うよりも、インターネットが絡んでいることで、事件がよりおもしろくなったと言うべきかも知れない。極めて不謹慎な考え方だと思うが、現状としてそういう考え方があることは否めないと思う。そして、今回もまた、インターネットに対して批判的な意見が多く出された。

ただ、今回感じたのは、その批判が若干まともになってきていることだ。前までは、事件を起こした人がインターネットを使っていたから、インターネットが悪いというような論調だった。ちょっと考えれば分かるように、インターネットを使っている多くの人は、普通に社会生活をしている。それに、インターネットを使っていない人の中にも、問題を起こす人はいる。たまたま容疑者がインターネットを使っているからと言って、それが因果関係を示すものではないのだ。今回の事件では、こういう論理的な誤りは、少なくともなくなったと思うのだ。

ただし、それでもまだ論理が欠落している意見は多い。特にチャットに関して、欠点だけを挙げて、だから悪いのだとしているものが多く見られた。それを受けて、「高校生まではPCを使わせたくない」なんて意見は極論に過ぎない。教育にPCが絡んできているのは、現在の社会状況を考えれば必然だ。紙と鉛筆同様に、手段としてコンピュータを使いこなせる必要があるのだ。それとチャットの問題点は切り分けて考えるべきだ。

チャットで相手の顔が見えないのは当たり前で、感情が伝わりにくいのもやむを得ないことだ。それはコミュニケーション手段としての、チャットの限界だ。それが嫌なら直接会って話せばいい。だいたい、この事件の加害者と被害者は、直接会う機会も多かったし、感情を伝えるために顔文字をうまく使っていたと言う。僕はそれなりにPCに慣れているつもりではいるが、そういう感情表現の技術に関しては、とても現在の小学生にはかなわない。そもそも、PCに対する見方が違うのだ。僕はあくまでも電子計算機という考えから脱し切れていないが、小学生の感覚では、すでに携帯電話などと同じ、コミュニケーションのツールなのだ。だから、データとしてどうのこうのと言うことよりも、とにかく自分の意思が伝わることを最優先に考える。半角カナはまずいとか言っていては、なかなかそういう発想にはならないものだ。

いつになったら、こういう問題に関して冷静な議論ができるようになるのだろう、と思う。おそらくは、現状のマスコミの形態が続く限り、ずっと冷静な議論など期待できないのだろうな…。なぜなら、そんな議論はほとんどの人にとっておもしろくはないからだ。


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