丁寧語は、長い間使ってこなかったせいか、違和感があるのでやめることにする。
人は、他人のことを、どこまで知ることができるのだろうか。こんなことを思いついたきっかけは、妙なことだが、パスワードを考えているときだ。
パスワードは、自分だけが知っていて、他人は知らないということが前提になる。人を知っていると言っても、パスワードが分かることはまずないだろう。
僕の、研究室のPCの今のパスワードは、これまでの僕の人生を変えた人のハンドルネームを、3人並べたものだ。その人のことはプロフィールに書いてあるから省略するとして、果たして、これが他人に分かるだろうか。それぞれの人にとって、ハンドルネームは自分のものなのだから分かるだろう。では、それ以外の人についてはどうだろう。
一人目の中学の先輩と、二人目のメール友達は、僕が紹介したので、お互い知っている。面識はないと思うが…。二人目のメール友達は、その中学の先輩のハンドルネームを知っている。しかし、逆はないだろう。メール友達の方は、数え切れないほどのハンドルネームを時と場合に応じて使い分けている。その中で僕は、先輩の知らないハンドルネームをパスワードに使っているはずだ。
つまり、人のことを知っていると言っても、高が知れているということだ。僕にとってとても重要な人だって、他人から見れば何の価値もない。人のことなんて、本当に何も分からないんだな、と思う。
ふと思ったのだが、弟は3人とも知っている。考えてみれば、僕の知人の中で、この3人を全員知っているのは弟だけだ。なんだかいろいろあるなあ。人間関係も。