Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2004年05月26日(水) 不幸の本質

不安は、不幸だ。不幸にもいろいろあるだろうが、今の僕にとって、不安がもっとも不幸だ。

人間は、やる気になればなんでもできる。その気にさえなれば、できないことなんて何もない。すばらしい。人間には無限の可能性があるんだ!

では、どうするの?僕は、修論を書きたい。それさえできれば卒業できる。意味はないかもしれないが、人生に刻む一つのステップになるだろう。修論のテーマはシミュレータの開発。船長のシミュレーションをするプログラムを書くこと。やる気があれば何でもできる!では、何をするの?どうすれば修論が完成するの?がんばればいいの?がんばるって何をするわけ?毎日毎日研究室に来ていれば、それで論文は完成するわけだ。努力すればいいの?毎日毎日努力さえしていれば、それで論文は完成するわけだ。

そんなわけはない。物事にはどんなことにもやり方というのがあって、それさえ知っていて、それをこなしさえすれば、やる気なんてあろうがなかろうができるのだ。それをできるかどうかはやる気次第、努力次第だろう。しかしね、努力は最全面に来るものではないのだ。すべてを兼ね備えた人間の、最後の一欠片。それがやる気とか根性とかってものだ。

シミュレータプログラムを書けばいい。では、何を書くの?Javaで書けばいいのか。Javaってどう書くの?Javaって何?どんな機能があるの?利点は何?欠点は?処理速度が遅い?それってシミュレーションに向いてないんじゃないの?シミュレーションって計算機資源がたくさん必要なんじゃないの?GUI?それじゃますますJavaなんて向いてないんじゃないの?船長のシミュレーションをするのはいいけど、船長って何?シミュレーションをするならモデル化をするよね。モデル化ってどうやるの?どうすれば正当なモデルと言えるの?それは本当にまともなモデルなの?そもそもどんなことを再現するの?精度は?細かい方がいい?それじゃマウスクリックのインタフェースなんて使う意味がないんじゃないの?数値で入力?そんなのいちいち数値で入れてられるの?船長のモデルはいいとして、船舶のモデルはどうするの?一次近似の操縦運動方程式を使うの?方程式の解法は?ルンゲクッタ法でいいの?オイラー法で十分?そもそも船長と船舶と、どうやって時間のつじつまを合わせるの?マルチスレッド?そうだな、マルチスレッドだろうな。それじゃ再現性がないじゃないか。しかし、本来別個のものを扱うのだから、マルチスレッドが一番じゃないのか?そもそも、シミュレーションできるような代物なのか、船長ってのは?それはモデル化の正当性と同じ議論なのか?問題の本質はなんだ?なぜシミュレータなんて作るんだ?船長モデルの妥当性を調べるため?どうやって評価するの?それ以前にどうやって動作の検証をするの?検証と評価は違うだろう。何が違うのか?だいたい、こんなのほかにやってる人がいるんじゃないのか?こんなことやって、何かの価値があるのか?書くのはいいけど、結果としてできあがったものが実用に堪えなかったらどうするのさ?それを修論として胸を張って出すのか?だいたい、学費払っていないだろう。奨学金をもらえなかったらどうするつもりだ?授業料免除なんて、親の年収が1000万越えてる人間に認められるもんじゃないぞ。親は学費なんて出すつもりはないと言ってるなんて、そんな細かい事情が認められるわけはないだろう?いまや、独立行政法人化で、国立大学にカネなんてないんだ。だから、いまだに僕の机のスピーカは電源が取れなくて、音が鳴らないんじゃないか。どうするんだ?連絡の取れない先輩に、なんとか連絡を取らなきゃいけないじゃないか。どうやって連絡を取るんだ?メールも電話も反応がないんだぞ。だいたい、アルバイトしなくていいのか?奨学金がもらえなかったら退学だろうが、お前はよ。そうだ。だいたい明日ミーティングだろ?日記なんて書いてる場合なのか?こんな調子で本当に論文なんて書けると思ってるのか?そもそも、論文ってなんだ?何をもって論文って言うんだ?必要な調査なんてしてないぞ。なんせ、海事に関する知識なんてまったくないんだからな。プログラミングのスキルだって高が知れている。こんなものじゃ世の中やって行けないよ。どうするつもりなんだ?研究の目的はなんだ?シミュレータの開発を目的としていいのか?そんなもの、何のために開発するんだ?船長モデルの評価なんて必要なのか?評価がしたいのなら、僕なんかが作らなくたって、評価がしたい人がシミュレーションプログラムを書くだろう?

疑問はまだまだある。考えれば考えるだけ、クエスチョンマークは頭の中に浮かんでくる。問題発見能力という意味で言えば、すばらしいのかもしれない。ただ、そんなことはどうでもいい。問題は、どうやって解決するのか、だ。がんばるのか?がんばれば解決するのか?努力さえすればなんでもできるのか?知らなかったことが分かるようになるのか?どうやって?何をすれば?どこへ行けば?精神論は最後の決め手だが、最初からそれでは、何も解決しないよ。

重要なのは目的と、そのための手段。最後に、手段を実行に移すための行動力だ。だが、手段をうまく選べば、行動力なんて必須のものじゃない。やる気なんぞなくても、簡単なことならできるんだ。重要なのは、そこだろう。確かに、目的を見定め、事の本質を考えるのは大事だろう。でも、世の中腐るほどの人がいて、それぞれがそれぞれのことをやってるんだから、とりあえず何かすれば、それでいいじゃないか。それを、どうやるか、だよ。

目的が定まらないのも不安だが、方法が分からないのがもっとも不安だ。目的なんて、方向を決めるだけでも何とかなる。でも、自分が一歩一歩進んでいくための手段を知らなければ、毎日をどうやって過ごせばいいのかなんて、考えることもできないじゃないか。それは苦しみではないのか?それこそが不幸ではないのだろうか。


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