Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2004年03月24日(水) ロールプレイング

ふと思う。社会はみんな、ロールプレイングじゃないかと。オンラインゲームをやっていると、現実と仮想の区別がつかなくなると言う。しかし、現実ってなんだろう。PCの画面に映っていると仮想で、テレビで見ると現実なのだろうか。あるいは、テレビは仮想の世界で、自分の目で見たものは現実なのか。では、普段自分の見ているものがテレビに映ったらどうなのだろうか。

現実も仮想も、どちらも似たようなものだと思う。どちらにせよそれは一つの世界であり、そこにいる人間は登場人物だ。僕は、ラグナロクの世界ではプリースト、セージ、BSのシークであり、インターネットの世界では日記の筆者のシークであり、一般に「現実」と言われている世界では大学院生である。でもそれは、ゲームやインターネットのように、人の手で作られた大学と言う世界での肩書きに過ぎない。ただそれが、多くの人に通用するかどうかの違いしかない。確かに、人と人との間で生きていかなければならない現代の人間にとって、肩書きは大事だろう。しかし、結局のところ、肩書きは役割である。大学という世界の中で、大学院生という役割(role)を演じているに過ぎないのだ。一般に「現実」と言われている世界でも、やっていることはゲームと同じ、ロールプレイングなのだ。

本当に大事なのは自分の世界だろう。自分の心の中に確固としたものがあれば、他の世界とのかかわりはそれなりでもいいのではないか。その結果として社会とのかかわりを絶てば、当然それは反社会的な人間と言うことになる。でも、一般の「現実」がすべてではあるまい。大学であっても会社であってもゲームであってもインターネットであっても、それらはどれも人の手で作られた世界であって、そのどこかに居場所があればそれでいいんじゃないかと思う。

ただ、人間はかすみを食って生きられない。どうしても衣食住は必要だろうし、その他にも現実世界との接点を絶てない部分はある。ただ、これは行動を制約する条件だ。理由はどうあれ、「やめたくてもやめられない」のだ。たとえどんな理由があっても、たった一つの世界にどっぷりとはまるのは、視野が狭くなって自分の世界を見失うことではないかと思うのだ。

極論すればこうだ。「みんなはゲームの世界にはまるなんて、って言うけど、そういうみんなこそ、現実世界にはまりすぎじゃないの?」と。自分の世界にこもりきりになるのもゲームの世界にこもりきりになるのも良くない。でも、生活のために必要だからって、現実の生活がすべてだなんて、そんなの悲しいとは思わないか。


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