心惹かれるもの、魅力を感じるものには、必ず共通点がある。それは、そのものを使うことで、感情を抱かせてくれること。良いものは使う人に感情を抱かせるものだと思う。
感情は、プラスの感情とは限らない。イライラ、不満、怒り、悲しみ、不安を感じさせるものであっても、それはいいものかもしれない。どこかで誰かが言っていたが、「好き」の反対は「嫌い」ではない。「好き」の反対は「無関心」なのだ。
うまく行かないからこそ使いこなしたくなる。そんなものは多いはずだ。バイクなんてその典型だと思う。これも何かの漫画に書いてあったことだが、「転ぶものに、転ばないように乗るから楽しい」のだ。転ばないものに乗って転ばないのは当たり前である。転ぶものなのに転ばないように乗れるのが良いのだ。元は自転車の話だったかもしれない。でもまあ、どちらも似たようなものだろう。僕は、似たようなことをPCを扱っていて感じる。またもや僕の考えたことではなくどこかで言われていたことだが、PCは、最近の精密機械製品の中では、群を抜いて未成熟な製品だ。最近はやや改善傾向にあるものの、マニュアルを読まないと使えないなんてそれだけでも製品としては失格と言っていい。普通、ちょっと慣れている人なら、大抵の電気製品は見るだけで使うことができる。テレビのリモコンを使うのにマニュアルを見る人はあまりいない。オーディオセットのボタンの意味が分からない人もまずいない。しかし、PCだけは違う。電源を入れることはできるかもしれない。普通の製品よりもはるかにコンセントをつなぐのは大変だが、それでもスイッチを押すことはできるだろう。しかし、そこから先、使いこなすのは素人には難しい。僕だって、使いこなしているといえるかどうか、疑わしい。もう、かれこれ10年も使いつづけているにもかかわらず、である。こんな製品は他にはない。
だからこそ、親しみが湧くのだ。普通に使っているだけなのに、ある日突然起動しなくなる。昨日は、それでOSの再インストールをする羽目になった。同じように使っているはずなのに、少しずつ反応が違う。そして、これをさらに突き進めると…。
そう、一つのゲームに行き着いた。ゲームはそもそも、多かれ少なかれプレイヤーに対してハードルを設け、それを乗り越えさせることを主眼にしている部分がある。そして、その究極こそがラグナロクなのだ。人で混みあうとまっすぐ歩くことも難しい。人とぶつかるからではない。処理が多すぎてサーバの処理が間に合っていないのだ。そうでなくても、そもそも接続者数が多いとどんどん処理が遅延する。敵と戦っていようが誰かと会話していようが、容赦なく処理は遅延する。一週間に一度、ギルド同士で砦を奪い合う攻城戦が始まると、その遅延はピークに達する。相手が攻めてきていようがいまいが関係ない。その前にまずは、操作してからすぐには反応しないという、処理の遅延と戦わなければならないのだ。しかもそれは、他の人がどれだけサーバに負荷をかけているかによって不規則に変化する。常にその変化を考え、操作してもそれは遅延するという前提で物事を考えなければならない。集団での戦闘では欠かせない、情報伝達ですら遅れるのだ。場合によっては情報伝達の機能がストップすることもある。
しかし、多くの人が不満を持っているが、最近、それが楽しいのではないかと思い始めた。それをプレイヤーの間では「調教済み」と言ったりするが…。ゲームを提供する側がどれほどの変化を与えようとも、開発には限りがあり、どうしても限界がある。しかし、人と人とのつながりによって起こる変化には限りがない。さまざまな問題も起こる。それが、楽しいのではないかと思い始めたのだ。
どの面を見てもよいことだらけだなんてつまらない。多少は欠点もあったほうが、愛着がもてると言うものだ。しかしまあ、ラグナロクは少々ひどすぎではあるが。ガンホー仕事しろ、頼むから…。