僕の卒論には、そもそも自分が何をやっているのか分かっていないという根本的な問題があるのだが、明日発表という土壇場に来て、さらなる問題が起きた。
それは、教授と助教授の食い違い。助教授は「論文は日記ではない。だから論文には、自分がやったことを書くのではなく、一般的な事実や考察を書くべきだ。」と言う。教授は「論文は自分の研究の成果を示すものだ。だから論文には、一般論だけでなく、自分がやったことを書かねばならない。論文には自分が研究をしたことが分かる証拠を示すべきだ。」と言う。おそらく、彼ら二人の言葉には矛盾がなく、その両方を満たすような答えがあるのだろう。だが、僕にはそれが分からない。自分がやったことを書いてはならず、かつ、自分がやったことを書かねばならない、と言われているように感じる。
どちらにも説得力がある。一般的でなければ論文として意味を持たないのは自明である。一応書いておくと、僕がやったらできたけど、他の誰かがやったらできませんでした、ということでは役に立たないからだ。そしてこのときに、自分のやったことなど不要というのが助教授の意見であり、必要というのが教授の意見であるように感じるのだ。だが、それでは矛盾している。矛盾はないはずだ。あっては困る…。経過ではなく結果を書けばいいのだろうか。だが、経過がなく結果だけでは何の証拠にもならない。日記じゃないから自分のしたことを書いてはならない、というのは少々おかしい気もする。
まあ、肩書きを考えても、助教授よりも教授の意見を受け入れるべきか。