進んでいるのかいないのか、よく分からない状況が続いています。研究室に来てから帰るまで、ほとんどずっとPCに向かっていて、最近はインターネットのニュースもサラッと流す程度しか見ていないはずなのに、なぜか作業にそれほど時間を費やしていないような気がするのです。集中力が欠如しているのでしょうか。
昨日、夕食を食べていて、久しぶりにニュースを見ました。ニュースステーションなんて見たのは久しぶりです。その時間は、ちょうど食事が終わって風呂に入っていたり、とっとと自分の部屋に引き上げていたりでなかなかテレビを見る機会などなかったのです。テレビを見ておもしろいと思えないことが最大の原因ですが。ニュースでは、いろいろなことをやっています。で、いろいろ言われると、いろいろ考えます。そのたびに、思うのです。僕が考えることなんて、無意味だなあ、と。何の力も持たない学生が何を考えようと、何もできないのですから。テレビの前で真剣に考え込むくらいなら、この日記にその一部だけでも記した方がマシというものでしょう。最近は、強く訴えたい自分の意見なんてないのですが。昔は世の中のことに関して真剣に考える余裕があったのですが、最近はそんなことをいちいちまともに考えていられません。世の中がどうなろうと知ったことではありません。僕は今、目の前の卒論で手一杯なのです。ただ、自分のことを棚に上げてしまうのはどうかと思うのですが、こんな教育でいいのでしょうか?最低限、朝刊くらいじっくり読める余裕を持って生活できるようにすべきなのではないでしょうか。もっとも、たかが卒論程度で、ここまで追い込まれている僕がおかしいだけなのでしょうが。
横のつながりがなくなって、ほとんど他の学生の話を聞くことはなくなっています。しかし、それでもかすかに聞ける噂によると、僕のように余裕を失って毎日毎日よく分からない作業を続けている学生はそれほどいないようなのです。大学院に進む学生でもそうだと言うから、そういう学生が不真面目なのではなくて、卒論というのは本来、こんなハードな生活を強いられるようなものではないでしょう。
とにかく、余裕を取り戻す時間もないまま集中し続けなければならない状況で、僕の集中力は低下の一途をたどっています。高校生の頃、ボーっと授業を聞いていたときだってこれほどひどくはありませんでした。刺激が足りないのか、僕のやる気がないのか。やる気のことは今に始まった問題ではないので、単に疲労なのかも知れませんね。まあ、疲労していようが体調がおかしかろうが、一日の半分以上モニタを見つめ続ける生活から抜けることなどできないのです。考えてみれば、下手すれば10時間以上も毎日毎日モニタを見つめ続ければ、おかしくならないはずはないのです。しかも、大学のモニタも家のモニタも、どちらも寿命を過ぎており、かなりちらつきが激しくなっています。家のモニタはコントラストが異常に低下しており、大学のモニタはしばらく経つと画面が揺れ始めます。