2003.06.02 (Mon) 20:58:44
今日は研究室の集まりの日だった。また方針転換を図るらしい。まあ、そりゃそうだ。本来なら研究所単位でないと開発できないはずのシミュレータなんて代物を、僕一人で開発するのは無理というものだ。
ところで、自分を制約すること、抑制することは必要なのだろうか。もっと言えば、目的のために目先のことを犠牲にしてもいいのだろうか。先日挙げたセルフカウンセリングは、その目的を、自己超越的な反省としていた。これは、なぜ目的を達成できなかったのかと反省するのでもなく、なぜ規範に反したのかと反省するわけでもない。なぜ落ち着かないのだろう。安心できないのは何が原因だろう、というのを突きとめるためのものだ。で、これを読んでいてふと思ったわけだ。目的のためにいろいろ犠牲にする必要などないのではないか、と。目的のために生きているのなら別だが、僕は結局のところ、幸せになりたくて生きているわけだ。みんな、漠然としているがそれは変わらないだろう。そして、何らかの目的を達成できたときに幸せになれると思っているわけだ。だが、それは僕の場合もそうだろうか。必ずしもそうとは言えないのではないか。そう、思えてきた。何も達成していなくても、普通に遊んでいるだけで、僕は十分幸せだと感じる。この世に生まれてきてよかっただとか、そういうよけいなことを考える暇もないくらいだ。
そう考えると、必死に我慢して、なんでもこなしてしまおうと考えるのは間違いのような気がしてきた。こう考えると、たいしたことではなくても、目的を達成するためだと思うと、ひどく気が重く感じる。こう考えることで軽く感じるのか。それは分からないが。
最近、少し視野が狭くなってきたと感じる。自分でそう感じるくらいだから、実際は相当に狭くなっていることだろう。これは、何が原因なのだろうか。いつも広い視野を持たない習慣が付いているのかもしれない。もっと、ものを突き放して見るようにしないと。最近、細かいことで感情的になりすぎるような気がする。感情的なのが人間の人間たるところだとか言う人もいるが、僕はそういうのは嫌いだ。感情的な人間ほど始末に負えないものはない。だからこそ、自分がそうはならないように、強く戒めたいと思う。と言っても、それでストレスをため込んでは仕方がないので、ほどほどにしようとは思うが。
上記の本にも載っていたが、重要なのは感情を自分のものとすることだ。精神を病んでいるならともかく、健康な人間であれば、感情を自分で制御することができるはずだ。感情に駆られて動くのでもなく、感情を抑えるのでもない。感情を突き放して捉えて、こんな感情を持っている自分がいるのだと冷静に判断することだ。あとは、その感情の原因に対して対処法を考えればよい。最も簡単な手段はそれを排除することだが、もちろんそんなことばっかりやっているわけにもいかないので、自分から離れるなり、受け入れるなり、いろいろ考える必要はあるだろう。
ああ、なんだろう。妙に疲れを感じる。栄養のバランスでも悪いのだろうか。
2003.06.02 (Mon) 21:32:02