2003.02.20 (Thu) 2:35 Viewer: 18 Access: 6270(+19) Letters: 1377 今日は最後の試験があった。 …必修、再試になってしまったから 実は明日もあるのだが。
流通統計管理論。 解答用紙に「単位、お願いします」と書くと 単位がもらえるという、伝説の教官が担当している。 書いてある問題文の日本語が理解できなかったが、 まあ、それほど難しいとは思わなかったが、 試験後に話してみた感じでは、 僕も含めて軒並み落ちているか、 ほとんどの人が通っているかどちらかだろう。 あまり厳密なことを問うてはいないはずなので おそらくは通るだろう。
実際の内容は、 現代経済論とでも言うべきものだった。 取引の内実、為替取引の種類などを扱った。 最初の方では流通の話もいくつかあったが。 中間流通機能の役割だとか、 そんなような話だ。 卸売りなんて中間でマージンとってるだけなんだから、 いない方がものが安くなっていいじゃないかと思うが、 そんなことをしたらすべてのメーカーとすべての店が 直接取引をすることになって 取引の数が膨大になって、パンクするじゃないか というのが大まかな理屈だ。 専門用語では流通チャネルの削減、と言うそうな。 専門家のはずなのに他人事のようだ…。
今日の電車の中。 知的障害の人がいた。 よくある偏見のイメージ、あのままでほぼ間違いない。 僕は扉の側に立って 窓の外を見ていたのだが、 いきなり後ろから当たってきて、 僕が立っていた場所に割り込んできた。 いちいち争っても仕方がないのでその場を離れたが、 なんだか気持ちの悪い声で何かをつぶやいている。 それも仕方がないので、 一度電車を降りて、違う場所へ行った。
普通の人がやったら、 明らかにマナー違反だろう。 しかし、知的障害だから許される。 …これって、おかしくないか? 精神障害の殺人もそうだと思うのだが、 本人の状況なんて関係ないだろう。 病気かも知れないし、何かの間違いかも知れない。 しかし、その人は明らかに 問題となる行動をしているのだ。 評価されるべきはその人ではなくて、 その人が取った行動ではないのだろうか。 そして、行動を評価するときに、 その人の病気だとかなんだとか、 そんなことをいちいち考慮する必要があるのだろうか。 迷惑をかける人に例外など考える必要はないだろう。 子どもも、酔っぱらいもそうだ。 最低限のマナーも守れない人間は、 電車に乗るべきではない。
だが、電車くらいならいい。 被害者が我慢をすればいいのだ。 確かに理不尽だし、泣き寝入りというやつだが、 それこそ知的障害者ならともかく、 まともな社会人ならそんなことは、日常茶飯事だろう。 なぜなら、すべてを結果で判断されるからだ。 どんなに努力をしていても、結果に結びつかなければ評価されない。 そのときに他人に邪魔をされたりしていても、 バレなければないのと同じだ。
でも、殺人の場合はそうはいくまい。 被害者は命を失っているのだ。 それが、犯人は精神障害だから無罪です。 では救われない。 精神病院は牢獄のようなものだから、とかいう問題ではないだろう。 犯罪者は、例外なく法によって裁かれるべきなのだ。 それを言ったら子どもの場合も同様だが。 どんな人間であれ、行動は行動だ。 誰がやったからって、その本質は変わらない。 殺人は誰がやったって殺人なのだ。
眠い。寝よう…。
2003.02.20 (Thu) 3:38
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