Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年02月08日(土) それぞれの価値観

2003.02.10 (Mon) 22:08 Viewer: 25 Letters: 1403
今に始まったことではないが、
いつも休みになると更新が滞る…。
ゲームもほどほどにしなければ。

というわけなので、
見事にゲームしかしていない。
どうやら、僕の脳内には、
試験という事柄はあまり重要なこととして
インプットされていないようだ。
水曜日の応用化学の試験よりも、
むしろプログラムの方が重要だったり…。
電車の中でもJavaのテキストばかり読んでいるし。
500ページもある分厚いテキストは、
電車の中で読むにはあまり適さないのだが、
内容はちょうどいいのだ。

前は、家でじっくり読んでも理解できなかった。
しかし、最近は比較的集中しにくいと思われる
電車の中でも
かなり内容を理解できるようになった。
おそらく、かなり成長しているのだろう。
今のところ、一緒にゼミを受けている他の学生よりも
理解度は上のようだ。

と、ここまで書いて、
水曜日になってしまった。
これは土曜日の日記なのに。
やれやれだ。
最近、よく「やれやれ」って言っている気がする。
あまりいいことではないかも知れない。

それで価値観のことだが、
結局僕にとっては、試験よりもプログラムの方が重要らしい。
特に線形代数などは、必修だから落とすわけにはいかないのだが、
どうも危機感が足りない…。

最近、このような価値観のズレをよく感じる。
本来重要と思うべき点を重要と思えず、
どうでもいいと思われることが妙に気になる。
しかし、全体としては、あらゆることに関する興味が希薄になっている。
いったいなんなのか…。

人にはみんな、それぞれの価値観があり、
それは1つとして同じものはないはずだ。
だが、それらがすべて尊重される世の中とは、言えない気がする。
人の価値観は、その人自身を形作る
重要な要因だが、その要因に善し悪しがある気がしてならないのだ。
大学の講義や勉強を重要と思う価値観はよい価値観で、
それよりもゲームの方が大事だと思う価値観は悪い価値観だとされている気がする。
いったい、なにを根拠としてそのようなことを言っているのだろう?
その人個人の幸せを言うのであれば、
価値観はどうあってもよいはずだ。
つまり、自分にとって不都合な価値観は
認めないとする考え方が、横行しているような気がしてならない。

僕は、どのような価値観でも
基本的に受け容れることがしている。
もちろん、容認できる限度というのがあり、
例えば、電車の席に寝そべり、
大声で叫びながら駅構内を歩き回るような
脳の容積が不足していると思われる
子どもなどは、受け容れることはできないが。
その子どもたちは高校生くらいに見えた。
だから、本来なら大学生である僕が
子どもなどと言えたものではないが、
その知的レベルは明らかに子どもと言うにふさわしかった。
僕は塾の講師として中学生を教えたこともあるが、
その中学生の方が遥かに理知的で、常識をわきまえていた。
チープな言い方だが、親の顔が見てみたいものだ。

ちなみに、正真正銘本物の子どもも、
やはり僕には受け容れがたいものがある。
正直に言って、子どもの意見に耳を傾けるべきものは
そう多くないような気がする。
あまりに知識が不十分だし、
思慮も浅い場合が多いような気がする。
まあ、それほど機会があるわけでもないし、
それほど問題ではないと思うが。
自分の子どもだったら…。どうなのだろう?
僕には、よく分からない。

2003.02.12 (Wed) 19:29


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