2003.01.29 (Wed) 1:11 Access: 5610 (+80) Viewer: 29 Lines: 274 1時には寝ようと思っているのに、もうこんな時間だ。 やはり、家庭教師がある日に 食事や風呂に時間をかけてしまうと こういうことになってしまう…。 文学、また休むことになるのか…?
それで、その時点での総アクセス数と、 日記の日付のユニークアクセス数を付加することにした。 あとで、自分で見たときにおもしろいと思うからで、 それ以外の意図はない。 総アクセス数は、この日記の右下に記されている、 この日記を書き始めてから今まで来てくれた人の延べ人数であり、 ユニークアクセスは、その日の同じ人による 重複アクセスをのぞいた数だ。 基本的に見た人の数なので、Viewerと記している。 ただ、同じ人が来ても、何回も数えてしまうことがあるようだが…。 あと、旧サービスの頃は、 管理人である僕のアクセスは外して数えてくれていたのだが、 Infoseekへの移管に伴ってサービスが低下し、 そのような機能はなくなってしまった。
今日は、2限から講義に出席した。 何週間か前から書いているような気がするが、 1週間で最も重要な講義、火曜2限の計算物理学だ。 今日はその目的を達することができた。 そのために、少なくとも大学を離れる頃までは ずっとよい気分で過ごすことができた。 だが、時間が経つと、そんなことで喜んでいる自分を悲しく感じてしまう…。
つい半年前までは、 ずっと挑戦的だったはずだ。 いつから、こんなことで満足するようになったのだろう? いったい、どうすればよいのか。 この方が、問題が少ないことは分かっている。 しかし、問題が少なければそれでよいのだろうか? しかも、このときに、最近の課題をもろに露呈してしまった。
それは後回しにするとして、3限と4限。 実は、レポートが出ているのだが、 まったく手をつけていない。 グループでの課題なのだが、その半数に連絡できないのだ。 いったいこの状況で、どうしたらよいのだろうか…。 この際、単位なんていらないとも思うが、 そんなことを言っていると次々と単位を失ってしまう。 この期だけで、卒業に必要な単位をそろえるつもりでいないと…。
それから、5限。 今日はレポートの提出日となっていたため、 講義そのものはなかった。 しかしこのレポート、実は、再提出の期限だったのだ。 つまり、再提出も含めて、この日までに出さなければならなかったのだ。 僕はこの日初めて提出した。 だから、このレポートに不備があったら、 再提出の期限が過ぎているので、もうレポートは受理されない。 このミスで、必修の単位を失うわけだ。 この演習は、これまでさんざん苦労をしてきたのだが…。 こんなことで単位を失いたくはないのだが。 必要なことは書いたつもりだが、レポートを受理するかどうかは 僕ではなく、教官が決めることだ。 これで、2限からずっと良かった気分は、一気に落ち込んでしまった。 それでも、基本的にプラス思考なので、 今は、良かったことの方を強く思っているのだが。 どんなに不安に思っていても、危惧なんて、 そう簡単に的中しないものだ。 どうしても手放したくない人間関係は、 何もしないうちに消え去ることなんてないのだろう。 僕の努力ではない。相手の意志というのもある。
レポートを提出し、友人がレポートを修正するのにつき合い、 図書館に寄って、新しいブルーバックスの本を借りて、帰路に就いた。 本当は図書館で明日の試験の対策をするつもりだったが、 友人のレポートの修正につき合ってしまったので、 その時間がなくなってしまったのだ。 まあ、持ち込み可の試験だから、むやみに難しい問題さえ出なければ 何とかなるだろう。 難しい問題が出たらどうしようもないが…。 論述ではないから、得意な屁理屈が通用しない。 情報管理システムという名の科目だが、 要はグラフ理論の話だ。 どこが情報管理システムなのかは、 たぶん講義をしている本人すら知らないだろう。 ちなみにそのとき、試験日程をデジカメで撮影したが、 白黒処理したのがかえって良くなかった。 文字がすべてつぶれてしまって、判読不能になってしまったのだ。
帰路に就くとき、強く思う。 大切なこと。自分にとって重要なこと。 いまだに忘れられないこと。 毎日毎日、そればかり思う。 過去に囚われているのか、一途に思っているのか。
図書館で借りた小さな本は、 帰路の孤独を癒してくれる。 もちろん、その本の質にもよるが、 基本的には冷静で客観的な筆致で書かれているため、 ほとんど間違いはない。 読んでいて感動を呼び起こすようなものではないが、 興味をそそられるものが多い。 幻想的な物語も良いが、客観的な事実もそれに劣らないほど良いと思う。
家庭教師をしに行ったが、 残念ながら、僕の生徒は、僕の力ではどうしようもない。 学校の授業を聞かない生徒に対して、 週に1回の授業で何とかするほどの手腕は、僕にはない。 給料をもらうことに若干罪の意識は感じるが、 少なくとも、この時間だけは生徒は机に向かい、 勉強していることは間違いない。 その対価として時給2000円は多すぎるが、 それでも、求められている仕事の最低限だけは 何とかこなしているのではないだろうか。
彼の家からの帰り道は、 駅まで5分ほどの距離だが、 程良い暗さで、物事を考えるにはちょうどいい距離だ。 ここでも、やはりもっとも大切なことを思う。 大切だったこと、と言うべきか…。 もう、手放さざるを得ない。 僕には、望む資格などないのだ。
久しぶりに、PHSからいろいろとネタを送った。 初めはずいぶんとしょうがないことが書いてある。 剛体の非存在証明…。 いったいなぜこのようなことを思ったのだろう。 剛体とは、大きさと質量を持ち、決して形の変わることがない仮想的な物体だ。 これが存在しないことを示すにはどうすればよいか。
それには、無限の長さの棒を仮定する。 無限でなくても、地球から太陽までの長さの、剛体の棒と考えてもよい。 このような棒を高速で回転させると、その棒の先は極端な高速で動く。 そして、この棒が長ければ長いほど、その先端の速度は増す。 それは単純な比例関係であり、棒の長さと回転速度によっては、 棒の先の速度が光速を超えてしまう。 これは相対性理論に矛盾する。 よって、剛体は存在しない。 …これで何が言いたかったのか、よく覚えていない。
次は、人に対する悪意について。 僕は、人に対して悪意を抱くことが、ほとんどない。 その必要を感じないからだ。 僕は、論理によって感情を制御できるほど冷静な人間ではないが、 それでも、悪意のような感情であれば制御できる。 僕の友人には、他人に対する悪意を露わにするものもいるが、 僕はそのような必要を感じない。 基本的に、人に対しては善意をもって当たった方が、 よい結果が期待できるというものだ。 僕には、体質的に合わないとか、そういう話が理解できない。 どんな人でも、理解しようとすることが大事だ。 よく分からないことがあっても、それで悪意を抱く必要はないではないか。 そもそも、この偽善者のあふれる社会で、 本当の悪人になど、そう出会えるものではない。 どのような人であれ、何らかの正義感に基づいて行動している。 それを考慮すれば、どのような人でも見るべき点がある。 見るべき点がなければ、その人間には価値がないということになりかねないが、 僕は、今はそれでも良いと思っている。 残念ながら、見るべき点のない人間を相手にしている余裕は、僕にはないのだ。 そのような人間から見るべき点を見いだす努力はするが、 それでもダメなら、もはやその人間は評価に値しない。 悪意の対象にはならないが、興味の対象にもならない。 そのような人には、そう会えるものではないが…。
そして、こう考えるからこそ、 論理的な人間は信頼に値すると考える。 信頼に値すると言うより、恐れる必要がないと言うべきか。 感情で物事を判断する人間は、 どのような基準で悪意を抱くかまったく分からない。 だから、感情的な人間を相手にする場合、 相手が自分に愛して悪意を抱いている可能性を、常に考えなければならない。 「自分は嫌われているのではないか」という危惧だ。 だが、論理的な人間にはそれがない。 意味もなく悪意を抱くことはないし、 悪意を抱いた場合、通常はそれを隠さない。 議論によって、問題が解決する可能性があるからだ。 だから、論理的な人間に対しては、嫌われているなどという危惧を抱く必要はないのだ。 だから論理的な人は、安心して話ができる人物だと思う。
なぜ人は、人に対してむやみに悪意を抱くのだろう。 しかも、それを抑制しようとするならともかく、隠そうともしないことがある。 悪意など、何の役に立つと言うのだろう? 人と人が悪意をもって争うことで、いったい何が得られると言うのだろう? 僕には、理解できない。 だから僕は、人に悪意を抱くことはないのだ。 不快感を抱くことはあっても、それは一過性だ。 それは、プライドを捨てているということなのかもしれない。 悪意を抱くのは、確固とした価値観を持ち、 その価値観を、プライドをもって守ろうとするから、悪意を抱くのかも知れない。 自分の価値観に適合しない人物を、意志の力で拒絶しようとしているのだろうか。 しかし、僕には拒絶する必要性が感じられない。 これは、僕に確固とした価値観がないからなのだろうか。 だが、僕はどのような意志であれ、受け容れるべきだと考える。 それが、もっとも自分にとって利益を得る手段だと思うからだ。 その後、その意志をどうするかを考えればよいだけのことだ。
次はまだ、仕方のないことを書いている…。 誰か、人に嫌がらせをしようと思ったとき、 もしその人が自動車を所有していたら、 その人ナンバープレートに対して、 破壊するなり盗むなりしてやれば、 その人に対する効率のよい嫌がらせになる。 我ながら、くだらないことを考えたものだ…。
次に、最初の方で後回しにした、 最近の課題だ。 僕の最近の課題は、人の話を聞くことだ。 上にも述べたように、僕はどのような人であれ、 意見は受け容れるべきであり、 自分の価値観に適合しないからと言って拒絶すべきではないと考えている。 これはつまり、人の話はよく聞くということにつながる。 これ以外にも、文章を注意深く読むとかいろいろなことが言えるとは思うが、 もっとも典型的な例として挙げられると言えるだろう。
これが、最近できていない。 ネットゲームのせいで、人の意見を聞く際、 言葉を耳で認識するのではなく、 文字を目で読むことになれてしまったのかも知れない。 とにかく、人の話を聞き逃したり、 聞くときに神経を傾けることが不十分になってきたりしてきてしまった。 特に、聞くべき人の聞くべき意見、 その人の考え方、物事に対する取り組み方など、 前からずっと、もっとも知りたかったことを話していたときに、 注意力が不十分だったことは、強く後悔している。 僕はずっと思っていた。 その人とは、世間話などはするが、 意見の交換が極端に少なかったと。 だから、物事の価値観に対する議論をしてみたかった。 しかし、その機会を得たにもかかわらず、 僕は単なる不注意でそれを失ってしまったのだ。 次の機会では、こううまく行かないかもしれない。 いや、きっとダメだろう。 今日は、すべての環境が完全に整っていた。 完全な環境に、相手の気分、体調などまで完全だった。 だからこそ、僕に抽象的な話をする余裕があったのだろう。 それにも関わらず、僕はその話を十分に聞くことができなかった。 いくら後悔しても、しすぎることはない…。 望んでいたことが実現したときに、僕はいったい何をしていたのだ? カレーライスを食べることに集中していたなんて、 馬鹿馬鹿しくて話にならない。 彼女は僕に何を示したのだろう? 僕の記憶の奥底に、眠っているのだろうか? 情報として、受け止めることができたのだろうか。
僕は、この彼女を尊敬している。 なすべきことをなしているだけなのだが、 今の僕には、それがまったくできていないのだ。 はっきりと覚えていないことが悔やまれてならないが、 それでも彼女は、僕に考えを示してくれた。 つまり、彼女はただ漠然と、なすべきだからなしているわけではない。 何らかの考えの下、自分の意志で歩みを進めているのだ。
だが、尊敬しているだけではいけないと思う。 彼女を手本とし、僕もそれにならって、 あとへ続かねばならない。 僕には、目的がある。 その目的を達成するための意志がないのだが、 それは、理想や価値観が確立していないことに起因すると思う。 つまり、どうしても目的を達成しなければならないという、 強い意志の源泉となる価値観がないのだ。 自分はこうすべきだという行動基準がないのだ。
だが、価値観はともかく、理想は自分で用意しなくてもよいのではないか。 僕の理想は彼女だ。 それで、よいのではないだろうか。 だから僕は、ただ彼女を追えばよいのだ。 20歳を過ぎた人間の考えることではないかも知れないが、 これがもっとも理想に近づくよい手段だろう。 理想があるのだから、ただそれに向かってまっすぐ進めばよいのだ。 あるべき僕の姿は、彼女が指針となって示してくれる。 僕は、時々来た道を振り返りながら、彼女の後を追えばよいのだ。 もちろん、そう簡単に真似できるなら こんな崇め奉るような言い方はしない。 だが、目標が明確になる。
…まあ、今さら目標を据えても仕方ないのかも知れない。 どうせ、すぐに失われるのだ。 大学4年になれば、ほとんどの講義がなくなり、 今までの人間関係は崩壊する。 就職活動によって、ほとんどの学生は余裕を失う。 彼女はそれに打ち勝てるだけの強さを持っている、と僕は信じているが、 それが僕に直接関係するわけではない。 結局、関係が絶たれる以上、 僕にはもう、なにもできないのだ。 ニンジンを目の前にぶら下げられて、さあ走ろうと思ったところで、 そのニンジンは取り去られてしまう。
僕は未だ、自分の足で歩むことができないでいる。 いったい、僕に何ができると言うのだろう。 モラトリアムは、延長したところで限りがある。 もう、誰も道を示してくれない。 唯一の道標を、僕は失う。 漠然と選んだこの環境の中で、 僕はなすべきことをなすしかないのかも知れない。
さあ、これからレポートの時期だ。 それが終われば試験だ。 こんなことを考えていられるのも、そろそろ終わりだ。 もうすぐ、目先のことに追われる時期が来る。 道も何もない。そのときやることをやるしかなくなるのだ。
2003.01.29 (Wed) 2:41
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