Seakの日記
日々感じたことを書き留めていこうと思っています。

2003年01月22日(水) 現実はどこへ消えた

2003.01.22 (Wed) 21:38 Lines: 175
子どものトラウマについての本を読んだ。
まだ読み終えていないが、いろいろ考えさせられる本だ。
アメリカ人が書いているからなのか、
英語を訳すとそうなるものなのか、
妙に断定的な口調が多い。
ブルーバックスの主張は押しつけがましいという話を聞いたことがあるが、
確かに、そういう面は否定できない…。
ただ、明快で科学的に優れていることは確かだと思うのだが。
もちろん、ものにもよるだろうが、
全体的に言えば、の話だ。
ブルーバックスの中には、とても読むに値しないのではないかと
思わされるものも存在する。
それは、僕個人の趣味に合わなかったり、
内容そのものがお粗末だったり、いろいろだ。

内容についてはかなり複雑なので、
詳細な言及は避けるが、
要するに、トラウマを持った子どもに対して
主に親がどんなことをできるのかということについて述べている。
あとは、専門家が何をしてくれるのかということについても述べている。
トラウマの被害者は子どもだけではない。
周囲の人間もそれに巻き込まれ、
共に悩み、苦しむことになる、と述べられている。
適切な手段によって、それは治療することが可能だが、
放置すれば大人になっても、キズは癒されずに残ることもあるらしい。
確かに、ここの日記を読んでいても、
いつまでも古いトラウマに悩まされている人は多いようだ。
今のところ、僕には無縁の話だが…。

僕には、トラウマどころか悩みすらないと言っていい。
レポートがたまっているのが悩みとも言えるが、
このレポート、そのほとんどは、書かないという
最悪の選択をすることが可能だ。
まあ、やっつけ仕事ではなく、満足できるまでできるものもあるのだが…。
人間工学など、僕自身が知らないことに関するレポートは、
僕自身の努力だけでは、どうしようもないのだ。
知らないことについては、いくら調べたって書けない。
それでもきちんとまとめてくる人がいるらしいが、
僕はそんな人を尊敬するだけで、とても真似なんてできない。

今日は2限から講義だったが、
朝、起きられなかったので、サボってしまった。
こんなことではいけないと分かっているのだが…。
3限は、応用化学の講義を受けた。
Raman散乱の話だった。
なんだそれは?と問われても、
この講義、先週出席していないので、
話がイマイチつかめなかった。
しかし、もともと物事を深く考えている教官なので
ただ話を聞いているだけでも、それなりにおもしろい。
やや投げやりなのが、少々残念だが。

4限はゼミだった。
今後について、いろいろと話をした。
Javaの基礎についてはある程度終わったので、
今度はサーバサイドのプログラミングについて学ばねばならない。
テキストも何もないのだが、
どうやら、これ以上教官たちは、世話を焼いてくれるつもりはないらしい。
とりあえずやることだけは決めておくから、
それをどうやるかは自分たちで考えろ、とのことだ。
卒論そのものならともかく、
その練習とも言えるゼミでこの態度とは、
なかなか乱暴なものだ。
信頼されているのか、放置されているのか…。
まあ、しかし確かに、ご丁寧に教わるほどの内容ではない。
テキストは少々高いが、
一冊、購入するしかないだろう。
どれがよいか、今の僕に分かるのだろうか…。

5限は、質問タイムだったらしい。
僕は、これまで話をする機会が少なかった人がいたので
その人と話をしようと思って、その講義には出席しなかった。
おかげで、有意義な時間を過ごせたと思っている。
おそらくは、テーマこそ違うものの
共に卒論に取り組む仲間となる人たちだ。
コミュニケーションを取ることは、極めて重要なことと言えるかも知れない。
もっとも、そんなことはいつでもできるのだから、
わざわざ講義を欠席すべきではないとも言えるが…。
まあ、楽しければいいのだ。結局は。
やはり、普段の友達と話すのもいいのだが、
なかなか話す機会のない人と話をするのは、
非常におもしろい…。
どのような人でも、その人固有のエピソード、経歴、
そして何よりも、価値観がある…。
まあ、一番驚いたエピソードは、
教授が、大学院の博士課程にいた頃、
車で構内を暴走し、花壇を破壊し、建物を破壊したという事件だろうか。
どうも飲酒していたらしい。
奥さんの両親にはばれなかったらしいのだが、
結婚式で担当の教授がバラしてしまったそうだ。
その状況はビデオに録ってあって、今でも隠しようがないらしい…。

他人の価値観を見ていると思う。
今の僕は、昔の僕とは違うのだろうか。
何か、変わったのだろうか。

今日は、やけに落ち着いていた。
気分に余裕があったと言うべきかも知れない。
まあ、朝ゆっくりしていたからかも知れないが、
最近、何をするにも焦っていたのが、
今日はやけにゆっくりできた。
東京駅でも、普段一生懸命あくせく歩いているのが
嘘のように、ゆっくりと歩いた。
ただ、講義の時間が遠いと言うだけで、ここまでのんびりできるとは。
なんだか、意外なものだ。
だからと言って、そう簡単に早起きできるものではないが。

ただ、何かボーっとする。
これでいいのか、よく分からない。
何かについて、強く思うことが、ここ2週間ほどない。
強い感情を、抱いていない。
漠然と楽しいと思うことはあるが、
どこか気の抜けた印象が否めない。
いったい、僕の身に何が起きたのだろう?
まさか、ゲームの世界にとらわれて、
現実の世界にリアリティを感じられなくなったわけではないと思うが…。
ただ、現実だからと言って
僕にとってリアリティがあるとは言いきれない。
現実の世界は、僕にとって必ずしも魅力的な世界ではない。
僕の行動範囲だけが、現実の世界のすべてだ。
その中には、僕の心をとらえて離さないような
強い魅力を持つものが何もないのだ。

真実は何か。
信じるべき世界はどこにあるのか。
今、ここにいる自分は、ここにいてよいのか。
このまま漠としたまま、過ごしてよいのか。
明確な精神がない。
明瞭さのない、はっきりしない、度のずれたメガネを通した世界のように、
ぼんやりとしかその輪郭を表していない。
実際、今のメガネの度がずれているのかも知れないが…。
ここは現実ではない。ただの夢の世界だと言われても、
僕には受け容れられるような気もする。
その程度しか、この世界は僕に、存在感を与えていない。
絶対にそこにあると信じるほどの存在感は、
東京にも大学にも、感じられやしないのだ。

こんな感覚は、中学の頃から、ずっとあった。
僕の人生は、中学のある時期から、
ずっと幻ではないだろうか?
自分が20歳になることなんて、本当にあるのかと思ったあのとき。
あのときの自分が見ている夢なのではないだろうか。
僕は中学生として目を覚ますのではないか。
そんな夢想が、時々頭をかすめる。
くだらない妄想は、いつも頭に浮かぶのだが…。
まるでヒーローのように、他人を救う妄想が多い気がする。
無力感を感じているのか、そういう願望があるのか、
誰かに救ってほしいのか…。
この現実にいる誰かではない、その他の世界から現れて、
今の僕を救ってほしいと…。
ああ、カルト宗教にはまってしまいそうだ。
今の僕に、カルト宗教を否定する根拠などないのかも知れない。
主体性に、どれほどの価値があると言うのだ?
今の僕は、所詮僕の意志で形作られたものではないのだ。
すべてはDNAによって作られた肉体と、環境によって形成されたものだ。
この世の中には人間など腐るほどいる。
その中で、僕の意志、考えは決して価値あるものではない。
宗教にすべてを預けて、安寧に生きるのも、
選択としてあり得るのかも知れない。
命果てるとしても、やむを得ない。
失うものがないわけじゃないが、欲しいものなどないのだ。
僕には存在価値がないし、認められるわけでもないのに、
生きていたい理由があるわけでもない。

もっとも、存在価値があったとしても、だからなんだと言うのか?
僕にしかできないことがあり、僕が多くの人に生きることを望まれ、
多くの人に認められたとして、それにどれほどの意味があると言うのだろう?
…でも、人生なんて、もっとくだらないものかも知れない。
口ではこう言っていても、たった1人の人に認められればそれで十分だったり、
大切に思っている人が、自分を否定しなければそれで良かったりするのだ。
ただそれだけで、その日1日を幸せに過ごせる。
多くのものだけではない。
選ぶことのできる多くの道、僕を守ってくれるやさしい環境、
僕を認めてくれるし、僕が認めることのできる人々がいる。
もう、これ以上望むものなんてあるのだろうか…。
どの道も、今からは失うものの方が、得られるものより多いことを示している。
ここで立ち止まることが、僕にとって最善の選択なのかも知れない。
ただ、人は進んでいく。
僕1人がとどまったとしても、それはもはや、
僕の望んだ世界じゃない。
僕の意志に関わらず、世界は変わることを望む。

もう僕には世界は見えない。
でもきっと、誰にも見えていない。
見えている気になっていないだけ、僕の方がマシなのか…?

2003.01.22 (Wed) 23:00


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